【故事成語】
威あって猛からず
【読み方】
いあってたけからず
【意味】
威厳がありながら荒々しくないこと。君子の理想的な人柄をいう。


【英語】
・dignified without being overbearing(威厳があっても高圧的でない)
・majestic, and yet not fierce(威厳がありながら荒々しくない)
・dignified but not rough(威厳がありながら乱暴ではない)
【類義語】
・温にして励し(おんにしてはげし)
・恭にして安し(きょうにしてやすし)
・泰にして驕らず(たいにしておごらず)
【対義語】
・傲岸不遜(ごうがんふそん)
・傍若無人(ぼうじゃくぶじん)
「威あって猛からず」の故事
この故事成語のもとになったのは、中国の古典『論語(ろんご)』に出てくる、孔子の人柄をたたえたことばです。派手な戦いや出来事から生まれたというより、理想の人物像を短く言い表した文から広まった表現です。
『論語』述而(じゅつじ)第七の終わり近くには、子温而厲、威而不猛、恭而安という文が伝わっています。これは、孔子はおだやかでありながら厳しく、威厳がありながら荒々しくなく、うやうやしくても窮屈ではない、という意味です。
この三つの言い方は、どれも反対に見えやすい性質を一つの人物の中で両立させているところが大事です。やさしいだけでは締まりがなく、厳しいだけでは近づきにくいという、人の難しさを見つめた表現だといえます。
その中の威あって猛からずは、ただ堂々としているだけではありません。相手にきちんとした敬意を起こさせるほどの威厳がありながら、乱暴さやいかめしさに流れないことを表しています。
ここでいう威は、人を力で押さえつけるこわさではなく、自然に背筋がのびるような重みです。反対に猛は、荒っぽさやたけだけしさに近く、相手を圧倒するような勢いをさします。
つまりこの言葉は、威厳があるのにとげとげしくない、厳しさがあるのに暴れた感じがしない、そういう整った人柄をいうのです。弟子たちは、孔子の魅力を一つの長所だけでなく、調和のとれた姿としてとらえていたことが分かります。
さらに『論語』の後ろの章では、君子の五つのよい点をあげる文の中に、威而不猛という同じ言い方がもう一度出てきます。ここでは、孔子その人をほめるだけでなく、立派な人がそなえるべき徳の一つとして示されています。
このことから、もともとは孔子の人柄を言い表す文であったものが、しだいに理想の指導者や人格者を語る言葉として受け止められていったことがうかがえます。ただ強い人ではなく、強さをきちんと節度の中におさめられる人が、よい人と考えられたのです。
日本語では、威ありて猛からずという形でも、威あって猛からずという形でも用いられてきました。言い回しが少し違っても、威厳と温かみが一つになった理想の人物像を表す点は変わりません。
この故事成語は、怒鳴らないのにきちんと人が従う先生、いばらないのに自然と信頼を集めるまとめ役などを考えると、今でも意味がつかみやすくなります。人を導くときに必要なのは、荒々しさではなく、節度のある威厳だという教えが、この短い言葉にこめられています。
「威あって猛からず」の使い方




「威あって猛からず」の例文
- 新しい校長は注意が厳しくても怒鳴らず、威あって猛からずという言葉がよく似合った。
- 祖父は家族を甘やかしすぎず、しかも頭ごなしに叱らないので、威あって猛からずの人であった。
- 部の主将は規律を守らせる力がありながら横柄ではなく、威あって猛からずの態度で仲間を導いた。
- 祭りの実行委員長は指示が的確で落ち着いており、威あって猛からずのまとめ役として信頼された。
- 社長は会議で妥協を許さぬ一方、部下を威圧しないため、威あって猛からずの上司として敬われた。
- 地域の世話役は声を荒らげずに人をまとめ、威あって猛からずの人物として親しまれていた。























