【慣用句】
生簀の鯉
【読み方】
いけすのこい
【意味】
逃げ場がなく、相手の思うままにされる身のたとえ。どうされるかを待つしかない立場をいう。


【英語】
・be at someone’s mercy(相手の思うままになる)
・have no way out(逃げ道がない)
・be trapped like a fish in a pen(囲われた魚のように逃げられない)
【類義語】
・俎上の魚(そじょうのうお)
・まな板の上の鯉(まないたのうえのこい)
・袋の鼠(ふくろのねずみ)
【対義語】
・虎口を逃れる(ここうをのがれる)
・九死に一生を得る(きゅうしにいっしょうをえる)
・命拾いをする(いのちびろいをする)
「生簀の鯉」の語源・由来
「生簀の鯉」は、生簀に入れられた鯉の姿から生まれた慣用句です。まず、生簀とは、捕った魚をすぐに殺さず、水の中でしばらく生かしておくための囲いや水槽のことです。
生簀の中の鯉は、まだ生きています。けれども、広い川や池にいるときのように自由に泳ぎ回ることはできず、外へ逃げ出すこともできません。
この「生きてはいるが、すでに自由を失っている」というところが、この言い方のいちばん大事な点です。だから「生簀の鯉」は、ただ弱っている者ではなく、相手の手の届くところに置かれている者を表します。
この慣用句の土台になっているのは、日本人にとって魚が身近だった暮らしです。川魚や海の魚を生きたまま囲っておく生簀は、漁や料理の場で古くからよく知られていました。
鯉は、とくに大きく、目にもつきやすい魚です。そのため、生簀の中で逃げられずにいる鯉の姿は、人の心にも残りやすく、たとえにしやすかったと考えられます。
この言い方については、今の形を一つの古典作品に結びつけて決めるより、魚を囲っておく実際の暮らしから育った比ゆ表現として受け取るのが自然です。ことばのしくみそのものが、意味をよく伝えています。
よく似たたとえに「まな板の上の鯉」がありますが、こちらは料理される前で、もう逃げようのない姿をはっきり思わせます。いっぽう「生簀の鯉」は、まだ生きて動いてはいても、外へ出られず、相手に握られている感じが前に出ます。
そのため、この慣用句には、力があるように見えても実はどうにもならない、という皮肉なひびきがあります。元気そうでも、立場としては完全に囲いこまれている、というところが大切です。
江戸時代以後、魚を料理する場面や魚売りの光景は多くの人にとって身近でした。そうした生活の中で、この言い方は、捕らえられて身動きが取れない人をたとえる表現として分かりやすく受け止められていったのでしょう。
今では、ほんとうに魚の話をするときより、人の立場をたとえて使うことがほとんどです。たとえば、言い逃れのできない失敗が明らかになったときや、相手にすべてを握られて結果を待つしかないときに、よく合います。
ただし、少し困っているだけの場面には重すぎます。逃げ道がほとんどなく、相手に動かされるしかないという切迫した状態でこそ、「生簀の鯉」という言い方の重みが生きます。
こうして「生簀の鯉」は、魚の実際の姿をもとにして、人が自由を失い、相手の思うままにされる立場を鋭く表す慣用句になりました。短い言い方ですが、ただの「困った」よりも、ずっと強い追い詰められ方を示す表現です。
「生簀の鯉」の使い方




「生簀の鯉」の例文
- 証拠がそろっていた以上、彼は生簀の鯉のように処分を待つしかなかった。
- 契約書に印を押したあとの私は、生簀の鯉という思いで相手の返事を待った。
- 職員会議で事実を問いただされ、生簀の鯉となった担当者は黙りこんだ。
- 逃げ道をふさがれた犯人は、生簀の鯉のようにうなだれていた。
- 不正が記録に残っている以上、その会社は生簀の鯉という立場に追いこまれた。
- 家族に内緒で壊した花びんを前にして、健太は生簀の鯉の気持ちで母の帰りを待った。























