【故事成語】
渭浜の器
【読み方】
いひんのき
【意味】
将軍や宰相になるほどの器量を備えた大人物。大きな役目を任せるに足る、すぐれた人物をいう。


【英語】
・a person fit to be a general or minister(将軍や宰相になるにふさわしい大人物)
【類義語】
・王佐の才(おうさのさい)
・廊廟の器(ろうびょうのうつわ)
・将器(しょうき)
【対義語】
・斗筲の人(とそうのひと)
・小人物(しょうじんぶつ)
「渭浜の器」の故事
「渭浜」とは、中国の川である渭水(いすい)のほとりを指します。「渭」は中国の川の名を表し、「器」は本来、入れ物を意味する語ですが、そこから転じて、人物や能力の大きさ、器量を表す言葉としても使われます。
この表現の背景には、周の賢臣として知られる呂尚(りょしょう)、すなわち太公望(たいこうぼう)が、渭水のほとりで周の文王(ぶんおう)に見出されたという中国古代の故事があります。
この話は、『史記(しき)』(前漢、紀元前91年ごろ完成、司馬遷著)の「斉太公世家(せいたいこうせいか)」に出てきます。『史記』は黄帝から前漢の武帝までを扱う紀伝体の史書で、人物の伝記を重んじる構成をもっています。
「斉太公世家」では、呂尚は年老いて困窮していたころ、魚釣りを通して周の西伯、のちの文王に近づいた人物として語られます。文王が狩りに出ようとして占うと、得るものは獣ではなく「霸王之輔」、つまり王者を助ける人物である、と告げられます。
文王は狩りに出て、はたして渭水の北岸で太公に会います。語り合って大いに喜び、先君の太公が長く待ち望んでいた人物だとして「太公望」と名づけ、車に乗せてともに帰り、師として立てます。
同じ「斉太公世家」には、太公望がどのように周に仕えたかについて、別の伝えも並べられています。けれども、いずれの伝えも、太公望は文王・武王を助ける師であったという結びへ向かいます。
その後、太公望は文王の政治や武王の殷討伐を支え、周の大事なはかりごとに深く関わります。『史記』には、文王の時代にも武王の時代にも、太公望の謀計が多くを占めたことが述べられています。
「渭浜の器」という形に近い表現は、唐の詩人である儲光羲(ちょこうぎ)の詩『哥舒大夫頌德』に出てきます。儲光羲は盛唐の詩人で、この詩は唐の武将である哥舒翰(かじょかん)をたたえる文脈で詠まれています。
その詩には、「超超渭濱器,落落山西名」とあります。ここでの「渭濱器」は、渭水のほとりで見出された太公望のように、将軍や宰相にふさわしい大きな器量をもつ人物のたとえとして働いています。
つまり、「渭浜の器」は、太公望が静かに釣りをしていた場所そのものをいうのではなく、その場所で見出された大人物の器量をいう言葉です。渭水のほとりという具体的な故事が、後に「天下を支えるほどの才能を備えた人」をほめる表現へと結びつきました。
現在では、目立つ功績がまだ十分に表れていなくても、将来大きな役目を担うだけの器量がある人物をいうときに使います。太公望が文王に見出された故事をふまえるため、単なる優秀さではなく、重い責任に耐える大きさをほめる言葉になっています。
「渭浜の器」の使い方




「渭浜の器」の例文
- 若くして町の課題を見抜き、多くの人をまとめた彼は、渭浜の器と評された。
- 困難な交渉でも私情に流されず全体の利益を考える姿に、渭浜の器を見る。
- 新しい部長は経験こそ浅いが、人を生かす判断力があり、まさに渭浜の器だ。
- 災害時に冷静な指示を出し住民を守った青年を、村の長老は渭浜の器と呼んだ。
- ただ成績がよいだけでは、渭浜の器とは言えない。
- 渭浜の器と期待された彼は、重い責任を引き受けて組織の立て直しに力を尽くした。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・司馬遷『史記』前漢。
・彭定求等編『全唐詩』清、1705〜1706年。
・ブリタニカ・ジャパン編『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ブリタニカ・ジャパン。























