【ことわざ】
親に似た蛙の子
【読み方】
おやににたかえるのこ
【意味】
子が親に似て、目立った長所のない平凡な者に育つことのたとえ。


【英語】
・The apple doesn’t fall far from the tree(子は親に似るものだ)
【類義語】
・蛙の子は蛙(かえるのこはかえる)
・瓜の蔓に茄子はならぬ(うりのつるになすびはならぬ)
【対義語】
・鳶が鷹を生む(とびがたかをうむ)
「親に似た蛙の子」の語源・由来
「親に似た蛙の子」は、子どもが結局は親に似た性質や能力をもつことを、蛙の親子にたとえた言い方です。特に、平凡な親の子はやはり平凡で、親を大きく超えるほどの人物にはなりにくいという意味を含みます。
このたとえの背景には、蛙の成長のしかたがあります。蛙の子であるおたまじゃくしは、尾をもち、水中で暮らすため、成体の蛙とは大きく異なる姿をしています。しかし、成長すると手足が生え、尾が退化し、やがて親と同じ蛙の姿になります。幼いころには親と似ていないように思われても、成長すれば同じ姿になるという変化が、親子の似かよりを表す比喩となりました。
この比喩を用いた古い形として、「蛙の子は蛙」があります。その古例は、人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』(1748年・江戸時代中期、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作)の九段目に出てきます。この作品は、寛延元年8月に大坂の竹本座で初演されました。
九段目では、大星力弥(おおぼしりきや)が加古川本蔵(かこがわほんぞう)を槍で突いたのち、「蛙の子は蛙に成る、親に劣ぬ力彌めが大だはけ」とあります。ここでは、力弥が父の大星由良助(おおぼしゆらのすけ)に劣らない力を示したことを、蛙の子が蛙になる姿に重ねています。現在のような「凡人の子は凡人」という意味だけではなく、親がもつ力や性質を子も受け継ぐという、広い意味で使われた例です。
古い用例では、「蛙の子は蛙に成る」と、子が成長して親と同じ姿になる変化まで言い表していました。その後、「に成る」が省かれた「蛙の子は蛙」という短い形が定着し、親の性質、能力、職業などを子が受け継ぐことを表すようになりました。
岡本綺堂の『三浦老人昔話』(大正14年)では、別の仕事を長く続けられなかった者が、結局は親と同じ商売を継ぐ場面で、「蛙の子は蛙」が使われています。ここでは、顔形の似かよりではなく、子が親と同じ生き方や職業へ戻っていくことを表しています。
「親に似た蛙の子」は、この「蛙の子は蛙」という比喩に「親に似た」を加え、親子の似かよりを直接示した形です。「蛙の子は蛙」が、子は結局親と同じ道を歩むという広い意味をもつのに対し、「親に似た蛙の子」は、親に似て平凡であり、特に優れたところがないという評価を強く表します。
そのため、単に容姿や得意なことが似ている親子をほめる言葉ではありません。自分の不得意な点が親と同じであることを苦笑まじりに述べたり、親がわが子について控えめに語ったりするときに適したことわざです。他人に向けて用いれば、その親子には目立った能力がないという失礼な意味になりやすいため、用いる相手には注意が必要です。
「親に似た蛙の子」の使い方




「親に似た蛙の子」の例文
- 父も私も人前で話すのが苦手で、親に似た蛙の子とはこのことだ。
- 商売の才が父と同じく乏しい自分を、彼は親に似た蛙の子だと苦笑した。
- 母も娘も運動が不得意で、親に似た蛙の子だと二人で笑った。
- 息子は親に似た蛙の子だから大きな成功は望めないと、父親は控えめに語った。
- 親に似た蛙の子と自嘲していた彼も、地道な努力を長く続けた。
- 兄は自分を親に似た蛙の子と呼び、父と同じ小さな店をこつこつ守った。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・『プログレッシブ英和中辞典 第5版』小学館、2012年。
・二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳『仮名手本忠臣蔵』1748年。























