【ことわざ】
親より先に死ぬのは一番の親不孝
【読み方】
おやよりさきにしぬのはいちばんのおやふこう
【意味】
子どもが親より先に亡くなることは、親に最も深い悲しみを与えるため、最大の親不孝に当たるということ。


【類義語】
・親に先立つは不孝(おやにさきだつはふこう)
「親より先に死ぬのは一番の親不孝」の語源・由来
「親より先に死ぬのは一番の親不孝」は、古くから伝わる「親に先立つは不孝」ということわざを、意味がはっきり伝わるように言い表した形です。ここでの「先立つ」は、単に前へ進むことではなく、ある人より先に亡くなることを指します。
親より先に亡くなることを「不孝」と結びつける考えは、平安時代の文学に、すでに表れています。大江朝綱が、息子の澄明を亡くした後に書いた『為亡息澄明四十九日願文』(950年・平安時代中期)は、後に、藤原明衡編『本朝文粋(ほんちょうもんずい)』(1060年ごろ成立)巻十四へ収められました。
この願文には、「悲之亦悲。莫悲於老後子。恨而更恨。莫恨於少先親」とあります。年老いた親が子に先立たれることほど悲しいものはなく、若い子が親より先に亡くなることほど心残りなものはない、という意味です。「一番の親不孝」という現在の言い方に通じる親の深い悲嘆が、端的に表されています。
『宝物集(ほうぶつしゅう)』(1177~1181年ごろ・平安時代末期、平康頼著)にも、子が親より先に亡くなることについて、「子のあやまりに非ずといへども、親に物を思はすれば」とあります。子ども自身に落ち度がなくても、親を深く悲しませるため「不孝」と呼ぶ、という考えです。
この古い記述は、病気や事故などで亡くなった子を責めるものではありません。「不孝」という強い言葉を用いることで、子に先立たれた親の悲しみが、どれほど大きいかを表しています。親を悲しませたという結果に注目した言い方であり、死の責任を亡くなった本人に負わせるものではないことが分かります。
『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』(鎌倉時代、作者・成立年未詳)巻二十五にも、大江朝綱の願文を受けた「恨みて更に恨めしきは、わかくして親に先だつより恨めしきはなし」という言葉が出てきます。若くして親より先に亡くなることを、順序が逆になった、つらい別れとして語っています。
『源平盛衰記』は、源氏と平家の興亡を、多くの説話や故事とともに描いた軍記物語です。この作品に伝わる言い回しを背景として、後世には「親に先立つは不孝」という短いことわざが定着し、さらに、意味を詳しく示す「親より先に死ぬのは一番の親不孝」という形でも用いられるようになったと考えられます。
また、中世以降には、幼くして亡くなった子どもが賽の河原(さいのかわら)で石を積むという俗信が広まりました。江戸時代の『賽の河原地蔵和讃(さいのかわらじぞうわさん)』では、残された父母の嘆きが亡き子の苦しみにつながると歌われ、最後には地蔵菩薩が子どもを救います。こうした信仰も、親より子が先に亡くなることを、悲しい「逆の順序」と受け止める考えを広めました。
現在の「親より先に死ぬのは一番の親不孝」は、古い文献にそのままの形で書かれた言葉ではなく、「親に先立つは不孝」の意味を分かりやすく言い換えた表現です。「一番」という言葉には、子を失うことほど親にとってつらい悲しみはないという、平安時代から受け継がれてきた親心が込められています。
ただし、亡くなった本人や遺族に向かって用いると、避けられなかった死まで責めているように響くことがあります。このことわざは、亡くなった人を非難するためではなく、子どもの無事と長寿を願う親の思いを表す言葉として、相手の心情に配慮して使うことが大切です。
「親より先に死ぬのは一番の親不孝」の使い方




「親より先に死ぬのは一番の親不孝」の例文
- 祖母は、親より先に死ぬのは一番の親不孝だから、危険な運転だけはするなと孫を諭した。
- 親より先に死ぬのは一番の親不孝という父の言葉を思い出し、彼は無理な登山計画を見直した。
- 母は出発する息子に、親より先に死ぬのは一番の親不孝なのだから、必ず無事に帰ってきてほしいと伝えた。
- 親より先に死ぬのは一番の親不孝という言葉には、子どもに健やかに長く生きてほしいという願いが込められている。
- 病気で子どもを亡くした人に、親より先に死ぬのは一番の親不孝と言うのは、遺族を傷つけるおそれがある。
- 親より先に死ぬのは一番の親不孝とは、亡くなった子を責めるのではなく、子に先立たれた親の深い悲しみを表した言葉である。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000~2002年。
・集英社辞典編集部編『会話で使えることわざ辞典』集英社、1989年。
・佐野大介「和漢における孝観念の異同―「親に先立つ不孝」「異姓養子」への態度から―」『中国研究集刊』第60号、大阪大学中国学会、2015年。
・藤原明衡編『本朝文粋』1060年ごろ。
・平康頼『宝物集』1177~1181年ごろ。
・『源平盛衰記』鎌倉時代。























