【故事成語】
禍福は門なし唯人の招く所なり
【読み方】
かふくはもんなしただひとのまねくところなり
【意味】
幸福と不幸は、入ってくる門があらかじめ決まっているのではなく、その人自身の行いによって招かれるものだということ。


【英語】
・You reap what you sow.(自分でまいた種に応じた結果を受ける)
【類義語】
・禍福は己による(かふくはおのれによる)
【対義語】
・運否天賦(うんぷてんぷ)
「禍福は門なし唯人の招く所なり」の故事
「禍福は門なし唯人の招く所なり」は、中国の古典『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』の「襄公(じょうこう)二十三年」に出てくる「禍福無門、唯人所召」にもとづきます。『春秋左氏伝』は、伝統的に左丘明の作と伝えられますが、実際の作者と成立年代には諸説があり、戦国時代に形づくられたとみられています。
この言葉が語られるのは、春秋時代の魯(ろ)を舞台とする、襄公二十三年、すなわち紀元前550年の出来事です。魯の有力者であった季武子(きぶし)は、自分の家を誰に継がせるかで迷っていました。
季武子には年長の公鉏がいましたが、悼子という別の子をかわいがり、悼子を跡継ぎにしようと望みました。そこで、家臣たちを集めた酒宴の席で、悼子を特別に重んじる形を整えました。
その後に呼ばれた公鉏は、自分より年下の悼子が先に重んじられたため、立場を下げられた形になりました。季武子は公鉏を馬を管理する「馬正」という役目に就けましたが、公鉏は腹を立て、役目に出ようとしませんでした。
その様子を見た閔子馬は、公鉏に「子、然ること無かれ。禍福は門無し、唯人の召く所なり」と諭しました。幸せや災いには、それぞれが出入りする決まった門があるのではなく、人が自分の行いによって呼び寄せるのだ、という意味です。
原文の「門」は、家や町へ出入りする入口です。「禍福無門」は、幸福だけが通る門や災いだけが通る門が、どこかに初めから備わっているわけではないことを表します。
「唯人所召」の「召」は、呼び寄せるという意味です。日本語では「唯人の召く所」または「唯人の招く所」と読み下され、「なり」を添えた「唯人の招く所なり」という形でも使われています。
閔子馬は続けて、人の子として心配すべきなのは、よい地位を得られないことではなく、親に対して不孝になることだと説きました。父の命令を敬い、まじめに務めれば富を得ることもできるが、道に背けば大きな災いを受けることもあると戒めたのです。
公鉏は、この忠告をもっともだと受け止めました。それからは、朝夕の務めを敬い、与えられた役目をおろそかにせず、慎み深く働きました。
季武子は公鉏の働きぶりを喜び、公鉏を厚く遇するようになりました。公鉏の家は豊かになり、やがて公鉏は、魯の君主に仕える左宰という役目にも就きました。
この話では、望んだ地位を得られなかったことそのものよりも、その不満にどう向き合うかが問われています。公鉏が怒りに任せて務めを捨てれば災いを深めますが、態度を改めて責任を果たしたため、信頼と豊かさを得る結果につながりました。
したがって、この言葉は、世の中のあらゆる災難を本人だけの責任にするものではありません。もとの故事では、与えられた境遇に対してどのように行動するかが、その後の禍福を左右するという教えとして語られています。
日本では、「禍福門なし唯人の召く所」「禍福門なし唯人の招く所」などの形で伝わりました。『近江商人』(1911年・明治時代、平瀬光慶著)にも、「故に曰く禍福は門なし、唯人の招く所と」とあり、人の心や行いが災いを生むことへの戒めとして用いられています。
現在の「禍福は門なし唯人の招く所なり」も、この故事を受け継ぎ、幸不幸を運だけのせいにせず、自分の行いを正すことの大切さを説く言葉として使われています。
「禍福は門なし唯人の招く所なり」の使い方




「禍福は門なし唯人の招く所なり」の例文
- 試合での敗因を運の悪さだけに求めず、禍福は門なし唯人の招く所なりと考えて練習方法を改めた。
- 禍福は門なし唯人の招く所なりという教えを胸に、彼は毎日の仕事を誠実に続けた。
- 父は禍福は門なし唯人の招く所なりと言い、約束を守ることの大切さを子どもたちに教えた。
- 友人の信頼を失った兄は、禍福は門なし唯人の招く所なりと悟り、自分の言動を反省した。
- 禍福は門なし唯人の招く所なりなのだから、失敗を他人のせいにする前に自分の準備を振り返るべきだ。
- 店主は禍福は門なし唯人の招く所なりを心に刻み、客への誠実な応対を何よりも重んじた。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・集英社辞典編集部編『会話で使えることわざ辞典』集英社、1989年。
・小倉芳彦訳『春秋左氏伝 中』岩波書店、1989年。
・『春秋左氏伝』戦国時代。
・平瀬光慶『近江商人』近江尚商会、1911年。























