【ことわざ】
及ばぬ鯉の滝登り
【読み方】
およばぬこいのたきのぼり
【意味】
身分などがつり合わず、かなう見込みのない恋のたとえ。また、どれほど努力しても実現できないことや、到底手の届かないことのたとえ。


【類義語】
・高嶺の花(たかねのはな)
・花は折りたし梢は高し(はなはおりたしこずえはたかし)
【対義語】
・思う念力岩をも通す(おもうねんりきいわをもとおす)
「及ばぬ鯉の滝登り」の語源・由来
「及ばぬ鯉の滝登り」は、「及ばぬ恋」と「鯉の滝登り」とを結び付けた、しゃれのあることわざです。「及ばぬ」とは、自分の力や立場では届かないことを表し、「鯉」と同じ音をもつ「恋」を重ねています。そのため、もとは、身分や境遇の違いから、望んでもかなわない恋を表しました。
言葉の土台となった「鯉の滝登り」は、鯉が滝を登る姿から、勢いよく出世することを表す言い方です。その背景には、中国の黄河にある竜門という急流を登りきった魚は、竜に変わるという古い言い伝えがあります。日本では、その魚を鯉と捉え、立身出世や栄達のたとえとして用いてきました。
古い中国の地理書『三秦記(さんしんき)』には、竜門は流れが険しく、魚や亀の仲間は上ることができないものの、上りきった魚は竜になるという趣旨の記述があります。この伝承は、後漢の人物である李膺(りよう)を扱った『後漢書(ごかんじょ)』の注にも引かれ、「竜門を登る」という表現が、出世のたとえとして広まる背景になりました。
本来の「鯉の滝登り」は、困難を越えて成功するという、おめでたい意味をもっています。ところが、その前に「及ばぬ」を加えると、どれほど上ろうとしても目的に届かない姿へと、意味が反転します。さらに、「鯉」を「恋」に掛けることで、成功を表す言い方が、成就しない恋を表すしゃれへと作り替えられました。
古い用例は、『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』第六十七編(1815年・江戸時代後期、二世川柳編)に出てきます。『誹風柳多留』は、江戸の人々の暮らしや人情を題材にした句を集めた書物で、第六十七編には、「及ばぬ鯉の滝登り」を含む句が収められています。
この句では、下女への思いと「及ばぬ鯉の滝登り」とが結び付けられています。当時は、身分や奉公上の立場によって、自由には結ばれにくい男女もいました。そのような手の届かない恋を、「鯉」と「恋」の音を重ねて、短くおかしく表したのです。
その後、このことわざは、恋だけに限らず、能力や条件が及ばず、とうてい実現できない物事にも使われるようになりました。「かなわない恋」という具体的な意味から、「手の届かない望み」や「実現の見込みがないこと」へと、用法が広がったのです。
正岡容の『小説 圓朝(しょうせつえんちょう)』(昭和18年、正岡容著)には、「及ばぬ鯉の滝昇り」という表記が出てきます。貧しい暮らしのため、寺の門番へ心付けを渡すことなど、とてもできないという場面で使われており、すでに、恋とは関係のない、実現できない望みの意味になっています。
このように、「及ばぬ鯉の滝登り」は、立身出世を表す「鯉の滝登り」を巧みに反転させ、「鯉」と「恋」を掛けて作られました。かなわない恋を表す江戸時代のしゃれから始まり、現在では、努力だけではどうにもならない望み全般を表すことわざとして使われています。
「及ばぬ鯉の滝登り」の使い方




「及ばぬ鯉の滝登り」の例文
- 身分の高い姫に思いを寄せる若者の恋は、及ばぬ鯉の滝登りだった。
- 一度も練習せずに全国大会で優勝しようとは、及ばぬ鯉の滝登りというものだ。
- 資金も技術もないまま巨大な橋を一人で造る計画は、及ばぬ鯉の滝登りに終わった。
- 少年は人気俳優との結婚を夢見て、及ばぬ鯉の滝登りだと友人に笑われた。
- 小さな店が一週間で世界中に支店を出すという目標は、及ばぬ鯉の滝登りに近い。
- 相手との立場があまりにも違い、その恋は及ばぬ鯉の滝登りだと本人も分かっていた。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・『誹風柳多留』第六十七編、1815年。
・范曄『後漢書』5世紀。
・『三秦記』。
・正岡容『小説 圓朝』三杏書院、1943年。























