【ことわざ】
鬼の空念仏
【読み方】
おにのそらねんぶつ
【意味】
無慈悲な者が、心にもないのに殊勝そうに振る舞うことのたとえ。


【英語】
・The devil can cite Scripture for his purpose(悪い者でも、自分の目的のために聖なる言葉を利用することがある)
【類義語】
・鬼の念仏(おにのねんぶつ)
【対義語】
・鬼の目にも涙(おにのめにもなみだ)
「鬼の空念仏」の語源・由来
「鬼の空念仏」は、無慈悲な者のたとえである「鬼」と、心のこもらない念仏を意味する「空念仏」とを組み合わせた表現です。恐ろしい鬼が、いかにも信心深そうに念仏を唱えるという不似合いな姿によって、冷酷な人がうわべだけ善良に振る舞う偽善を表しています。
「空念仏」は、「そらねんぶつ」と読む場合、信心がないのに、もっともらしく念仏を唱えたり、唱えるふりをしたりすることを指します。俳諧(はいかい)の『望一後千句』(1652年・江戸時代前期)には、「そら念仏」という形があり、「心や実意の伴わない念仏」という考え方は、「鬼の念仏」が現れるよりも早くから、日本語に定着していました。
一方、「鬼の念仏」は、大津絵(おおつえ)の代表的な画題としても知られています。大津絵は、江戸時代初期の寛永年間、17世紀前半ごろから、東海道沿いの大谷や追分付近で売られた民画で、のちに旅の土産や護符(ごふ)として広まりました。
その図柄では、恐ろしい鬼が人間の僧侶に扮し、法衣(ほうえ)を着て、鉦(かね)と撞木(しゅもく)を持ちながら、念仏を唱えて布施を求めて歩いています。慈悲のない心のまま、形だけ善行を積む姿を描き、うわべだけの善良さを風刺したものです。また、子どもの夜泣きを止める護符ともされました。
近松門左衛門の浄瑠璃(じょうるり)『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』(1708年・江戸時代中期、近松門左衛門著)には、「姿は沙門頭は鬼神、おにの念仏かみくだく」とあります。「沙門(しゃもん)」は僧侶のことで、僧侶の姿をしながら、頭は恐ろしい鬼であるという「鬼の念仏」の図柄を言い表しています。
この用例は、現在のことわざの意味をそのまま定義したものではありませんが、慈悲を説く僧侶の姿と、無慈悲な鬼の心との食い違いを示しています。外見は殊勝でも、内面は恐ろしいという対照が、後の「うわべだけ善良に振る舞う」という意味とよく結び付きます。
さらに、『役行者大峯桜(えんのぎょうじゃおおみねざくら)』(1751年・江戸時代中期、吉田冠子ほか著)には、「鬼の念仏南無阿彌陀、堪りも敢ず首打落し」とあります。人を捕らえ、阿弥陀仏の名を唱えながら首を打ち落とす場面であり、慈悲深そうな言葉と残酷な行為との激しい矛盾を、「鬼の念仏」と表しています。
こうして、「鬼の念仏」は、鬼が念仏を唱える不似合いな姿だけでなく、無慈悲な者が殊勝そうに振る舞うことのたとえとして用いられるようになりました。「鬼の空念仏」は、その異形であり、「空念仏」の「心がこもっていない」という意味を明確に加えた形です。
似た表現の「鬼の目にも涙」は、無慈悲な者にも本当の情けが生じることを表します。それに対して、「鬼の空念仏」は、慈悲深そうに見えても心が伴っていないことを表すため、同じ「鬼」を用いながら、真心の有無が正反対になっています。
「鬼の空念仏」の使い方




「鬼の空念仏」の例文
- 普段は弱い者を苦しめる男が急に人助けを語っても、鬼の空念仏としか思えない。
- 弟をいじめていた兄が父の前だけで優しくする姿は、鬼の空念仏そのものだった。
- 従業員を粗末に扱う社長の慈善活動は、鬼の空念仏だと批判された。
- 謝罪の言葉を並べながら同じ不正を繰り返すのでは、鬼の空念仏にすぎない。
- 動物を乱暴に扱う飼い主が愛護を説いても、鬼の空念仏と受け取られるだろう。
- 人前では親切を装い、陰では友人を傷つける彼女の行いは、鬼の空念仏だった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・『望一後千句』1652年。
・近松門左衛門『傾城反魂香』1708年。
・吉田冠子ほか『役行者大峯桜』1751年。























