【ことわざ】
閑古鳥が鳴く
【読み方】
かんこどりがなく
【意味】
人の訪れがなく、ひっそりと静まり返っていること。特に、店や商売で客が来ず、はやらないさまを表す。


【英語】
・be deserted.(人けがなく寂しい)
【類義語】
・門前雀羅を張る(もんぜんじゃくらをはる)
・閑古鳥が歌う(かんこどりがうたう)
【対義語】
・門前市を成す(もんぜんいちをなす)
「閑古鳥が鳴く」の語源・由来
「眼光紙背に徹す」の「眼光」は、もとは目の光を表しますが、物事の真意を見通す力や観察力という意味でも用いられます。「紙背」は、紙の裏、また文章に直接書かれていない奥の意味を指します。
この二つが結びつくと、目の光が紙の裏まで届くように、文章の奥底まで読み抜くという比喩になります。単に字句を正しく読むだけでなく、言葉の背後にある深意をつかむところに、この慣用句の要点があります。
由来は、江戸時代末期の儒学者、塩谷宕陰の文章「安井仲平の東遊するを送る序」にあります。この文章は、安井仲平、号は息軒の才能をたたえた序文です。
塩谷宕陰は、1809年に江戸で生まれ、昌平黌に学び、のちに幕府の儒官となった江戸後期の儒学者です。考証を重んじ、文章にもすぐれ、『宕陰存稿』などを残しました。
安井息軒は、1799年から1876年まで生きた江戸末期の儒学者です。名は衡、字は仲平で、日向の人であり、飫肥藩校の助教を務めたのち、昌平坂学問所の教授となりました。
安井息軒は、1824年に江戸へ出て昌平黌に入り、学問に励みました。塩谷宕陰はその学問ぶりを見て、安井の読書力、識見、議論の高さを序文の中で強く評価しています。
その一節に「讀書眼透紙背識慮高卓」とあります。これは、書物を読むときの目が紙の裏まで透き通るほどで、見識と思慮が高くすぐれている、という意味に読めます。
原文では「眼光」ではなく「眼」と書かれ、「透紙背」という表現で、紙の裏まで見通すような読みの鋭さを表しています。この比喩が、現在の「眼光紙背に徹す」という形のもとになりました。
「徹る」「徹す」は、物事を奥まで貫くという意味合いをもつ言い方です。近代以後には「眼光紙背に透る」という形も使われ、現在は「眼光紙背に徹る」「眼光紙背に徹す」の形で、深い読解力をいう表現として用いられています。
近代の用例として、細井和喜蔵『女工哀史』(1925年)には、「心眼を開いて一読三読眼光紙背に透るまでお読み下さい」という形が出てきます。ここでは、一度読むだけでなく、何度も読んで文章の奥まで理解するように求める言い方として使われています。
戦後の用例では、鮎川哲也『黒いトランク』(1956年)に「眼光紙背に徹する名探偵」という形が出てきます。文章の深意を読む力から広がって、物事の奥にある事情を見抜く鋭さにも結びつけて使われています。
このように、「眼光紙背に徹す」は、江戸末期の漢文調の賛辞から生まれ、読書力の鋭さを表す慣用句として定着しました。現在も、文章を表面的に読むのではなく、言葉の奥にある考えや真意まで読み取る姿勢を表す言葉として使われます。
「閑古鳥が鳴く」の使い方




「閑古鳥が鳴く」の例文
- その喫茶店は昼過ぎでも客がなく、閑古鳥が鳴く状態だった。
- 新しい道路ができて人の流れが変わり、古い商店街には閑古鳥が鳴くようになった。
- 雨の日の遊園地は、休日とは思えないほど閑古鳥が鳴くありさまだった。
- 宣伝をしなかったため、文化祭の展示室は閑古鳥が鳴くほど静かだった。
- 駅前の映画館は、大型施設に客を取られて閑古鳥が鳴く日が増えた。
- 人気商品をそろえた店でも、場所が悪ければ閑古鳥が鳴くことがある。
主な参考文献
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松江重頼編『毛吹草』1645年。
・松尾芭蕉『嵯峨日記』1691年成立、1753年刊。
・柳亭種彦作、歌川国貞画『出村新兵衛小町屋宗七鯨帯博夛合三國』伊藤與兵衞、1822年。
・Cambridge University Press, 『Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus.』























