【ことわざ】
稲荷の前の昼盗人
【読み方】
いなりのまえのひるぬすびと
【意味】
神をも恐れないほど図々しい人のたとえ。白昼堂々、稲荷神社の前で物を盗むような不届き者をいう。


【英語】
・brazen wrongdoer(図々しく悪事をする者)
【類義語】
・盗人猛々しい(ぬすっとたけだけしい)
・仕置場の巾着切り(しおきばのきんちゃくきり)
【対義語】
・渇しても盗泉の水を飲まず(かっしてもとうせんのみずをのまず)
「稲荷の前の昼盗人」の語源・由来
「稲荷の前の昼盗人」は、稲荷神社の前という神聖な場所で、しかも人目につきやすい昼間に盗みをする者、という強い比喩から成り立つことわざです。「稲荷」は、五穀豊穣や商売繁昌などの神として広く信仰され、伏見稲荷大社を総本宮として全国に親しまれてきました。そうした神の前で悪事を働くという設定により、普通なら人がためらうはずの場所でも平然と不正をする図々しさを表しています。
稲荷信仰の起こりについては、『山城国風土記(やましろのくにふどき)』逸文に、秦氏の遠祖に関わる伝承が記されています。伏見稲荷大社の縁起では、和銅4年(711)2月初午の日に稲荷大神が稲荷山に鎮まったと伝え、のちに五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神として広く信仰を集めました。
江戸の町々にも稲荷信仰は深く広まり、路地の奥に赤い鳥居があるほど多くの稲荷社が祭られたと伝わります。つまり「稲荷の前」は、単なる神社の前というだけでなく、人々の暮らしのすぐそばにある、神を敬うべき場所を表していました。その前で盗みをするという言い方は、社会の目も、神への恐れも、道徳のけじめも失った行いを、強く印象づけます。
「昼盗人」という言葉も、このことわざを理解する上で大切です。『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』(12世紀前半ごろ成立、作者未詳)には、昼間に盗みに入った者を指す「昼盗人」の用例が出てきます。ここでは、夜陰にまぎれる盗人ではなく、明るい時間に人目をおそれず盗みを働く者という、具体的な意味で使われています。
さらに、井原西鶴の浮世草子『武道伝来記(ぶどうでんらいき)』(1687年・江戸時代前期、井原西鶴著)には、「昼盗人」が、良民のような顔をして悪事を働く者をののしる言葉として出てきます。ここでは、単に昼に盗む人という意味をこえて、平気な顔で悪事をする人という意味へ広がっています。
この流れをふまえると、「稲荷の前の昼盗人」は、「昼盗人」の人目をはばからない悪さに、「稲荷の前」という神聖な場所を重ねた言い方です。昼間であること、神社の前であること、そのどちらも、本来なら人の心に恥や恐れを起こさせる条件です。それでも盗みをするという形で、図々しさや不届きさをいっそう強めて表しています。
このことわざは、実際の盗みに限って使う言葉ではありません。悪いことをしているのに平然としている人、注意されても恥じない人、周囲の信頼や大切な決まりを踏みにじる人を、きびしく戒めるときに用います。現在の意味は、「神の前でも悪事をするほど恥知らずである」というたとえから、広く「人目も道理も恐れない図々しい悪事」へ広がったものです。
「稲荷の前の昼盗人」の使い方




「稲荷の前の昼盗人」の例文
- 先生の机から答えを写そうとするとは、稲荷の前の昼盗人のような行いだ。
- 地域の神社の賽銭箱を荒らすなど、まさに稲荷の前の昼盗人だ。
- 人が見ている前で友人の持ち物を持ち去るとは、稲荷の前の昼盗人と言われても仕方がない。
- 会社の大切な備品を勝手に売る行為は、稲荷の前の昼盗人に等しい。
- 注意されたあとも平気な顔でうそを重ねる彼の態度は、稲荷の前の昼盗人のようだった。
- 防犯カメラの下で商品を盗もうとするとは、稲荷の前の昼盗人そのものだ。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・井原西鶴『武道伝来記』1687年。
・『今昔物語集』12世紀前半ごろ成立。
・Oxford University Press『Oxford Advanced Learner’s Dictionary』。























