【ことわざ】
命は槿花の露の如し
【読み方】
いのちはきんかのつゆのごとし
【意味】
人の命は、槿花に置いた露のようにはかないものということ。人生の短さや、命の消えやすさをたとえた言葉。


【類義語】
・人生朝露の如し(じんせいちょうろのごとし)
・露の命(つゆのいのち)
・命は風前の灯の如し(いのちはふうぜんのともしびのごとし)
・電光朝露(でんこうちょうろ)
「命は槿花の露の如し」の語源・由来
「命は槿花の露の如し」の「槿花(きんか)」は、ムクゲの花を指し、また、アサガオの花を指すこともあります。ムクゲは朝に開いて夕方にはしぼむため、はかない栄えのたとえとして用いられてきました。そこに、朝の光や時の移り変わりで消えやすい露のイメージが重なり、人の命の短さを表す言い方となっています。
「露」は、古くから「はかないもの」のたとえに使われてきました。「露の命」は、露のように消えやすい命を表し、「命の露」も、いつ消えるか分からないはかない命を指します。このことわざでは、それ自体がはかない槿花の上に、さらに消えやすい露を置くことで、命のもろさを二重に示しています。
この表現の古い用例として、安楽庵策伝の『醒睡笑(せいすいしょう)』(1623年成立・江戸時代初期)巻之二に、「命は槿花(きんくわ)の露の如し」とあります。『醒睡笑』は、戦国末期から近世にかけて語られていた笑話を集めた咄本(はなしぼん)で、のちの咄本や落語にも大きな影響を与えました。
『醒睡笑』のこの話では、亀が万年生きると聞いた人が、亀の子を捕まえて、今から飼って確かめようとします。そばにいた人は、人の命は槿花の露のようにはかなく、たとえ長生きをしても百歳を超えることはないのだから、万年の命をどうして確かめられるのか、と笑ってたしなめます。
この場面では、「命は槿花の露の如し」は、ただ悲しみを述べる言葉ではありません。人間の一生は限られているのに、万年という長さを自分の目で試そうとする考えの無理を、短く鋭く指摘する言葉として働いています。命の短さを認めることで、人間の力や時間には限界があることを教えているのです。
槿花をはかなさのたとえとする考えは、別の言い方にも残っています。「槿花一日の栄」は、朝咲いて夕方にはしぼむ槿花の美しさが一日だけのものであることから、栄華のはかなさをたとえる言葉です。命を槿花の露にたとえるこのことわざも、同じように、短く美しいものがすぐに失われるという感覚を背景にもっています。
こうして、「命は槿花の露の如し」は、花と露という身近で美しい自然の姿を通して、人の命のはかなさを表すことわざとして用いられるようになりました。命が短いからこそ、時間を粗末にせず、人との出会いや今できることを大切にするという受け止め方にもつながる言葉です。
「命は槿花の露の如し」の使い方




「命は槿花の露の如し」の例文
- 祖母の死にふれ、命は槿花の露の如しという言葉の意味を深く知った。
- 命は槿花の露の如しだから、家族と過ごす何気ない時間も大切にしたい。
- 古い日記を読み返すと、命は槿花の露の如しという思いが胸に迫る。
- 命は槿花の露の如しと考えれば、つまらない争いに時間を費やすのは惜しい。
- 病を得た友人は、命は槿花の露の如しと語り、一日一日を丁寧に生きた。
- 命は槿花の露の如しということわざは、人の命のはかなさを花と露にたとえている。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・安楽庵策伝『醒睡笑』1623年。























