【故事成語】
貨の悖りて入る者は亦悖りて出ず
【読み方】
かのもとりているものはまたもとりていず
【意味】
道理に背く手段で得た財貨は、やがて道理に背く形で失われるということ。


【英語】
・Ill got, soon spent.(不正に得た金は、すぐに使い果たされる)
【類義語】
・悪銭身に付かず(あくせんみにつかず)
「貨の悖りて入る者は亦悖りて出ず」の故事
テキ「貨の悖りて入る者は亦悖りて出ず」は、中国の儒教経典『礼記(らいき)』の一篇である「大学」に出てくる「貨悖而入者、亦悖而出」を訓読した言葉です。『礼記』は、戦国時代から前漢初期までの礼に関する文献をまとめた書物で、現在は四十九篇から成ります。
「大学」は、もとは『礼記』の第四十二篇で、人が自分の心や行いを正し、家を整え、国や天下を治めるまでの道筋を説いています。徳を身につけることと正しい政治を行うことを、一続きのものとして捉えた教えです。
この言葉の少し前には、「徳者本也、財者末也」とあります。徳こそが根本であり、財産はその後に来るものだという意味で、財産を徳より重く扱う政治を戒めています。
続いて、「財聚則民散、財散則民聚」と記されています。支配する者が財を一か所に集めれば人々の心は離れ、財を人々に行き渡らせれば、その心が集まるという意味です。
その後に、「言悖而出者、亦悖而入。貨悖而入者、亦悖而出」と続きます。道理に背いた言葉を外へ出せば、道理に背いた言葉が返ってきます。同様に、道理に背いて入ってきた財貨は、道理に背く形で出ていくという対句です。
ここでの「悖る」は、道理に背く、正しい筋道に反するという意味です。「貨」は財貨や財産を指すため、もとの文は、権力者が人々から不当に財産を取り立てても、その富も国も安定しないことを説いています。
後漢の鄭玄(じょうげん)は、君主が道理に反する命令を出せば、民も反発する言葉を返し、上に立つ者が利益をむさぼれば、下の者も侵し争うようになるという趣旨で解釈しました。個人の金遣いだけでなく、政治を行う者の貪欲さを戒めた言葉でもあります。
南宋の朱熹(しゅき)は、「大学」を『礼記』から取り出して『大学章句(だいがくしょうく)』を著し、『論語』『孟子』『中庸』とともに四書の一つに位置づけました。四書は中国で広く学ばれ、日本でも江戸時代に多くの版本が刊行されたため、この一節も儒学の教えとして伝わりました。
中国では、この一節から「悖入悖出」という短い表現も生まれました。不正な方法で得た財物が他人に奪われたり、むだに使われたりすることを表し、道理に背く行為には道理に背く結果が返るという意味にも広がりました。
日本では、「宝、さかって入る時はさかって出る」という形でも伝わりました。『子孫鑑(しそんかがみ)』(1667年ごろ・江戸時代前期、寒河正親著)には、「又たからさかって入時は、たから又さかって出(イヅ)る也」とあり、不正に入った財宝は正しい道理によって出ていくという教えに用いられています。
『子孫鑑』には、寒河正親が記し、福森兵左衛門が寛文十三年、すなわち1673年に刊行した本も伝わっています。漢文の一節が、子孫に生活上の心得を伝える日本の教訓書にも取り入れられていたことが分かります。
なお、末尾の「出ず」は、「でず」と読んで「出ない」という意味にするのではありません。「いず」と読み、古語の動詞「出づ」に当たり、外へ出る、失われるという意味です。
こうして、もとは国を治める者に対し、財より徳を重んじるよう説いた一節が、不正に得た利益は結局失われるという広い戒めとして定着しました。正しくない手段による富は、たとえ一時は増えても、安心や信頼を伴わず、長く保つことはできないと教える言葉です。スト
「貨の悖りて入る者は亦悖りて出ず」の使い方




「貨の悖りて入る者は亦悖りて出ず」の例文
- 賄賂によって築いた財産をすべて没収された役人の末路は、貨の悖りて入る者は亦悖りて出ずの教えを示している。
- 商品の産地を偽って利益を得た会社は、多額の返金を迫られ、貨の悖りて入る者は亦悖りて出ずという結果になった。
- 横領した金を遊びに使い果たした彼には、貨の悖りて入る者は亦悖りて出ずという言葉が当てはまる。
- 人をだまして集めた金は長く残らず、貨の悖りて入る者は亦悖りて出ずとはよく言ったものだ。
- 不正な会計で利益を大きく見せた企業は信用を失い、貨の悖りて入る者は亦悖りて出ずを身をもって知った。
- 貨の悖りて入る者は亦悖りて出ずという戒めを胸に、祖父は正直な商売を守り続けた。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・近藤いね子・高野フミ編『プログレッシブ和英中辞典 第4版』小学館、2011年。
・『礼記』戦国時代から前漢初期までの文献をもとに成立。
・朱熹『大学章句』南宋、12世紀。
・寒河正親『子孫鑑』福森兵左衛門、1673年。
・紀昀『閲微草堂筆記』清代。























