【故事成語】
溺るるに及んで船を呼ぶ
【読み方】
おぼるるにおよんでふねをよぶ
【意味】
物事を始める時機をすでに失ってから、慌てて助けや対策を求めることのたとえ。


【英語】
・too little, too late(対策が不十分なうえ、行動する時期も遅すぎる)
【類義語】
・戦見て矢を矧ぐ(いくさみてやをはぐ)
・渇に臨みて井を掘る(かつにのぞみていをほる)
【対義語】
・備えあれば憂いなし(そなえあればうれいなし)
「溺るるに及んで船を呼ぶ」の故事
「溺るるに及んで船を呼ぶ」は、水に溺れてから船を呼び寄せようとしても、救助が間に合わないという情景を表した故事成語です。災難が起こる前に備えず、手遅れになってから慌てて対策を求める愚かさを戒めています。
もとになった言葉は、中国の歴史書『三国志(さんごくし)』(3世紀末、西晋、陳寿撰)の「魏書・董卓伝」に付けられた注に出てきます。『三国志』には、5世紀前半、南朝宋の裴松之が多くの史料を引用した注を加えており、その中に、董卓の上表文(じょうひょうぶん:君主へ差し出す意見書)が収められています。
後漢末、霊帝が亡くなって若い少帝が即位すると、大将軍の何進と袁紹は、宮廷で権力を振るっていた宦官(かんがん)たちを取り除こうとしました。しかし、太后が反対したため、何進は董卓に軍勢を率いて都へ来るよう命じ、その力で太后に決断を迫ろうとしました。
このとき、董卓が差し出したと伝わる文章には、表面だけを抑えるよりも、災いの根を取り除くべきだという趣旨に続いて、「及溺呼船、悔之無及」とあります。「溺れてから船を呼んでも、後悔はもはや間に合わない」という意味です。
この言葉は、実際に溺れた人物の話ではなく、宮廷の政治を水難にたとえた警告です。董卓は、争いが取り返しのつかない段階へ進む前に、混乱の原因を除かなければならないと訴えました。
ところが、董卓が都へ到着する前に何進は殺され、宦官たちは皇帝を連れ出しました。その後、軍勢を率いて都へ入った董卓が実権を握り、政治の混乱はいっそう深まります。結果として、「災いが起きてから救いを求めても遅い」という上表文の警告を思わせる事態となりました。
この上表文は、魏の魚豢が著した『典略』から、『三国志』の注へ引用された形で伝わっています。『典略』そのものは失われましたが、裴松之が古い史料を注に採り入れたため、「及溺呼船」という表現も後世に残りました。
明代後期、馮夢龍が歴代の知恵にまつわる話を集めた『智囊(ちのう)』にも、「及溺呼船、悔將無及」という言葉が出てきます。そこでは、劉璋が劉備を迎え入れようとした際、黄権が将来の危険を警告する言葉として用いており、危機に陥ってからでは遅いという戒めが、後の時代にも受け継がれていたことが分かります。
日本語の「溺るる」は、「溺れる」の文語の形です。「溺るるに及んで」は、「溺れるという段階に至ってから」を表し、原文の「及溺」を分かりやすい訓読の形にしています。「船を呼ぶ」と続けることで、必要な助けを求める時機が、すでに過ぎていることを示します。
このように、「溺るるに及んで船を呼ぶ」は、危険が目の前に迫ってから準備を始めるのでは遅いと教える故事成語です。問題が起きる可能性を前もって考え、時間に余裕があるうちに、必要な手だてを整える大切さを伝えています。
「溺るるに及んで船を呼ぶ」の使い方




「溺るるに及んで船を呼ぶ」の例文
- 提出日の朝になって資料を集め始めるとは、溺るるに及んで船を呼ぶも同然だ。
- 洪水警報が出てから避難経路を調べるのでは、溺るるに及んで船を呼ぶことになる。
- 機械が完全に止まってから点検の仕組みを整えても、溺るるに及んで船を呼ぶにすぎない。
- 貯金が尽きてから家計を見直すのは、溺るるに及んで船を呼ぶようなものだ。
- 試合開始の直前に選手名簿の記入漏れへ気づき、監督は溺るるに及んで船を呼ぶ事態に陥った。
- 災害が発生してから非常食を買い集めようとするのは、溺るるに及んで船を呼ぶ行動だ。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・Merriam-Webster『Merriam-Webster.com Dictionary』“too little, too late”。
・陳寿撰、裴松之注『三国志』3世紀末成立。
・魚豢『典略』魏時代。
・馮夢龍『智囊』明代後期。























