【ことわざ】
空家で声嗄らす
【読み方】
あきやでこえからす
【意味】
骨を折って働きかけても、人に認められず、無駄に終わること。


【類義語】
・楽屋で声をからす(がくやでこえをからす)
「空家で声嗄らす」の語源・由来
「空家で声嗄らす」は、人の住んでいない家で、取り次ぎを求めて何度も呼びかける姿から生まれたたとえです。家の内には返事をする人がいないため、どれほど熱心に声を張っても、呼びかけは届かないまま終わります。
この言い方の土台にある「空家(あきや)」は、人の住んでいない家を表します。「あきや」という言葉は『文明本節用集』(室町時代中期)にも載り、住む人のいない家を指す言葉は、古くから生活の中で使われていました。
もう一つの要となる「声を嗄らす」は、声がかすれるほど大きな声を出すこと、また、繰り返し強く言うことを表します。「声嗄らす」とまでいうことで、少し試しただけでやめたのではなく、力を尽くして呼び続けた様子がはっきり表れます。
この二つが合わさると、むなしさの理由がいっそう明らかになります。声が小さかったから返事がないのではなく、初めから答える人のいない所へ、声がかれるほどの力を注いでいるからです。
そこから、このことわざは、実際の訪問の場面を越えて、努力しても人に認められず、無駄骨に終わることを表すようになっています。ただ失敗したというだけではなく、努力を受け取る相手や、力を向ける先が合っていないために報われない場面を、よく表しています。
この意味を言い換える「無駄骨を折る」には、『吉野山独案内』(1671年)の用例があります。骨を折るほど苦労しても実りがないという捉え方は、近世の言葉の中にも現れていました。
また、「空家で声嗄らす」と同じように、届かない働きかけを「声をからす」で表す近い言い方に、「楽屋で声をからす」があります。江島其磧作の浮世草子『傾城禁短気(けいせいきんたんき)』(1711年・江戸時代中期)には、「楽屋で声をからして」という形が出てきます。これは、いくら骨を折っても人に認められないことを表しています。
「楽屋で声をからす」は、人目に触れにくい所で声を費やす姿を表す言い方です。これに対して、「空家で声嗄らす」は、返事をする相手そのものがいない所で声を費やす姿を表し、働きかける相手や場所を取り違えたむなしさを、より直接に思い浮かばせます。
このように、「空家で声嗄らす」は、答える人のいない家へ声を尽くすという、身近で分かりやすい情景から、骨折りが認められず、無駄に終わることを表すことわざとなっています。努力の大きさだけではなく、その努力を届ける相手や場所を見定めることの大切さも伝える言葉です。
「空家で声嗄らす」の使い方




「空家で声嗄らす」の例文
- だれも見ない古い掲示板に意見を何度も書くのは、空家で声嗄らすようなものだ。
- 担当者がいなくなった窓口へ要望書を送り続け、空家で声嗄らす結果となった。
- 閉鎖された募集ページで参加を呼びかけても、空家で声嗄らすばかりだ。
- 返事をする気のない相手に説得を重ねる兄の姿は、空家で声嗄らすに等しかった。
- 引き継がれていない連絡先に注文を頼み続けた会社は、空家で声嗄らすことになった。
- 住民の声を受け取る仕組みがなければ、意見募集を掲げても空家で声嗄らすに終わりかねない。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』全三巻、小学館、2005〜2006年。
・松村明監修、小学館国語辞典編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・江島其磧『傾城禁短気』1711年。























