【ことわざ】
欠伸を一緒にすれば三日従兄弟
【読み方】
あくびをいっしょにすればみっかいとこ
【意味】
人の欠伸につられて自分も欠伸をすると、その相手とは多少なりとも縁がある、ということ。欠伸はうつりやすい、という見方も含む。


【英語】
・Yawns are contagious.(欠伸はうつるものだ。)
・One person’s yawn makes another yawn.(一人の欠伸が、もう一人の欠伸を誘う。)
・There must be some kind of bond between them.(その二人には何かしらの縁があるのだろう。)
【類義語】
・袖振り合うも多生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)
・一樹の陰一河の流れも他生の縁(いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん)
・同気相求む(どうきあいもとむ)
【対義語】
・縁もゆかりもない(えんもゆかりもない)
・赤の他人(あかのたにん)
・水と油(みずとあぶら)
「欠伸を一緒にすれば三日従兄弟」の語源・由来
このことわざは、人の欠伸につられて自分も欠伸をしてしまう現象を、ただの偶然ではなく、小さな縁として言い表したものです。意味の中心には、欠伸が人から人へ伝わりやすいという生活の実感があります。
まず、「欠伸」という言葉そのものはとても古くから日本語の中にあることが分かっています。古い字書や文学の中にも、欠伸を表す言葉が早い時代から書き残されています。
たとえば、『新撰字鏡(しんせんじきょう)』は898年〜901年(昌泰元年〜延喜元年・平安時代前期)ごろの字書で、ここには欠伸を表す古い書き方が確かめられます。さらに、『枕草子(まくらのそうし)』にも欠伸の語が出てきており、平安時代にはすでに日常のしぐさとしてよく知られていたことがうかがえます。
江戸時代に入っても、欠伸はふつうの生活の中の動きとしていろいろな本に出てきます。たとえば、『昨日は今日の物語(きのうはきょうのものがたり)』は1614年〜1624年(慶長19年〜寛永元年・江戸時代前期)ごろの咄本ですが、ここには「大欠伸」という語が見えます。
このように、欠伸というしぐさも、その名前も、かなり古くから人びとの目にとまり、言葉として使われてきました。ですから、欠伸を題材にしたことわざが生まれること自体は、たいへん自然なことだといえます。
一方で、親類の遠近を表す言葉にも古い伝わりがあります。コトバンクに載る「三従兄弟」は、またいとこを指す語で、親類関係を細かく言い分ける言葉として古くから用いられてきました。
このことわざに出てくる「三日従兄弟」は、そうした親類の言い方を、厳密な系図の言葉としてではなく、遠くても少しはつながりがあるような感じを、やわらかくおもしろく表したものとして受け取ると分かりやすいです。実際、このことわざの説明では、「三日従兄弟」は血のつながりの薄い親類、あるいは軽い親しみをたとえた言い方として扱われています。
つまり、このことわざは、欠伸が同じように出るというほんの小さな一致から、二人のあいだに全く無関係ではないものを感じ取る言い方です。大げさな宿命や深い約束を語るのではなく、ちょっとした近さを言うところに味わいがあります。
今の使い方でも、この意味は大きく変わっていません。だれかの欠伸がうつった場面で、何かしら気が合う、空気が似ている、少し親しみがあるといった気分を、半ば笑いをまじえて表すときに向くことわざです。
そのため、深刻な人間関係や強い対立を語る場面にはあまり向きません。教訓をきびしく言うことわざというより、人と人とのゆるやかなつながりを、欠伸という身近なしぐさで軽やかに言い表したことわざとして受け取るのが自然です。
古い時代から知られていた欠伸というしぐさと、親類の遠近をたとえに使う日本語らしい感覚とが重なって、この言い方は親しまれてきました。小さなことの中にも縁を見つける、やさしい見方がこのことわざには表れています。
「欠伸を一緒にすれば三日従兄弟」の使い方




「欠伸を一緒にすれば三日従兄弟」の例文
- 待合室で隣の人につられて欠伸が出て、欠伸を一緒にすれば三日従兄弟という言葉を思い出した。
- 長いバス移動で友人とそろって欠伸が出て、欠伸を一緒にすれば三日従兄弟という言い方がぴったりだと感じた。
- 祖母は、孫どうしが同時に欠伸をすると、欠伸を一緒にすれば三日従兄弟だねと言って笑った。
- 初対面の相手と同じ瞬間に欠伸をして、欠伸を一緒にすれば三日従兄弟ということわざの意味を思った。
- 会議で二人が同時に欠伸をしたのを見て、欠伸を一緒にすれば三日従兄弟という昔の言い方が口をついた。
- 眠そうにしていた同僚と欠伸が重なり、欠伸を一緒にすれば三日従兄弟という表現で場が和んだ。























