【ことわざ】
鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代
【読み方】
うなぎはすべってもいちだい、はぜはとんでもいちだい
【意味】
境遇や暮らしぶりが違っても、一生は一生であるということ。また、人には持って生まれた天分があり、どんなにもがいてもその限りを超えにくいということ。


【英語】
・A leopard cannot change its spots(生まれつきの性質は変わりにくい)
【類義語】
・鱧も一期海老も一期(はももいちごえびもいちご)
・一升徳利に二升は入らぬ(いっしょうどっくりににしょうははいらぬ)
「鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代」の語源・由来
「鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代」は、鰻と鯊という、姿も動き方も違う魚を並べて、人の一生をたとえたことわざです。鰻はぬるぬると滑る魚、鯊は小さく身近な魚としてとらえられ、その違いを見せながら、どちらも一生は一生であると述べています。
「鰻」は、体が細長く、体表が粘液におおわれてぬるぬるしている魚です。この性質が、「滑っても」という言い方のもとになっています。
鰻を表す古い形には「むなぎ」があります。『万葉集』(8世紀後半成立・奈良時代)には「武奈伎」の形で出ており、夏やせによい食べ物として詠まれています。
「鯊」は、ここでは「はぜ」と読みます。ハゼはハゼ科の魚で、内湾や河口に多く、釣りの対象としても親しまれてきた身近な魚です。
このことわざには、「鯊は飛んでも一代、鰻はのめっても一代」という、順序や言い回しが違う形もあります。また「跳んでも」は「飛んでも」とも書きます。
「一代」は、このことわざでは「一生涯」、つまり生まれてから死ぬまでを指します。鰻が滑るように生きても、鯊が跳ぶように生きても、それぞれの一生であることに変わりはない、という見方が土台にあります。
魚介を比べて人生を語る近い言い方に、「鱧も一期海老も一期」があります。この言葉は、境遇の違いや賢愚の差があっても、人の一生はたいてい同じようなものだというたとえで、『かた言』(1650年・江戸時代前期、安原貞室編)に用例が伝わります。
「一期」は一生を意味する言葉です。「鱧も一期海老も一期」と「鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代」は、どちらも魚介の違いを人の境遇や生き方の違いに重ねている点でよく似ています。
ただし、「鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代」には、もう一つの意味も添えられます。人はどんなにもがいても、持って生まれた天分以上のことはできない、という教えとしても用いられます。
ここでいう「天分」は、生まれつき備わった性質や能力を指します。鰻が鰻らしく滑り、鯊が鯊らしく跳ぶように、人にもそれぞれの持ち前がある、という考え方です。
このことわざは、「努力してもむだだ」と投げやりに考えるための言葉ではありません。自分と人との違いを知り、無理に別のものになろうとしすぎず、自分の持ち前をどう生かすかを考える言葉として受け止めることができます。
また、貧富や身分、暮らしぶりが違っても、一生を生きるという点では変わらない、という受け止め方もあります。魚の動きを借りて、人の一生の限りと、それぞれの生き方の違いを静かに言い表しているところに、このことわざの味わいがあります。
「鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代」の使い方




「鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代」の例文
- 鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代というように、人にはそれぞれ持ち前の力がある。
- 友人の才能ばかりうらやむ兄に、祖父は鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代だと静かに言った。
- 鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代とは、暮らしぶりが違っても一生は一生であるという考えを表す。
- 人と同じ道を無理に歩もうとして苦しむより、鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代と考えて自分の道を探す。
- 鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代だからといって、努力をやめてよいという意味ではない。
- 進路を考えるとき、鰻は滑っても一代鯊は跳んでも一代という言葉が、自分の得意なことを見直すきっかけになった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・平凡社編『百科事典マイペディア』平凡社。
・二階堂清風編著『釣りと魚のことわざ辞典』東京堂出版、1998年。
・安原貞室編『かた言』1650年。
・Oxford University Press, Oxford Advanced Learner’s Dictionary.























