【ことわざ】
運を待つは死を待つに等し
【読み方】
うんをまつはしをまつにひとし
【意味】
努力をせず、ただ幸運が訪れるのを待つことは、自らの破滅を待つのと同じだということ。運は行動と努力によって切り開くべきだという教え。


【英語】
・God helps those who help themselves(自ら努力する者には天の助けがある)
【類義語】
・寝ていて牡丹餅は食えぬ(ねていてぼたもちはくえぬ)
【対義語】
・果報は寝て待て(かほうはねてまて)
「運を待つは死を待つに等し」の語源・由来
「運」は、ここでは物事の成否にかかわる「めぐりあわせ」や「さだめ」を指します。「運を待つ」とは、よい巡り合わせが訪れることを願いながら、自分からは動かずにいることです。
「運を待つこと」と「死を待つこと」を、「等し」という言葉で強く結び付けています。実際に死を待つという意味ではなく、行動しなければ機会を失い、やがて自らを行き詰まらせるという厳しい戒めです。
このことわざの古い用例の一つは、『甲田の裾』第九巻第十二号(昭和13年12月)に掲載された、白戸松次郎の文章「運」にあります。同号では、題名と作者名に続いて、働かずに成功を望むことの愚かさが述べられています。
その文章には、「運を待つは死を待つに等し、と云ふ諺もある」とあります。「諺もある」と記していることから、少なくとも昭和13年には、筆者個人が新しく作った言い回しではなく、すでに知られたことわざとして扱われていたことが分かります。
続いて、棚の下で口を開け、牡丹餅(ぼたもち)が落ちてくるのを空腹のまま待っていれば、やがて飢えで倒れてしまうという場面が描かれています。努力せず、偶然の幸運だけを当てにする姿を、身近で分かりやすい情景に置き換えたものです。
さらに、同じ文章では「果報は寝て待て」という決まり文句を繰り返し、手をこまねいて遊んでいるなら、自ら死を待つのと同じだと述べています。ここで批判しているのは、できることをした後で時機を待つことではなく、初めから何もせずに幸運だけを願う態度です。
意味の近い古い言い方には、「座して死を待つ」があります。こちらは『後出師の表(こうすいしのひょう)』(3世紀・中国の三国時代、諸葛亮)に由来し、生き延びるための努力をせず、滅びを待つことを表しますが、「運を待つは死を待つに等し」とは別の表現です。
「寝ていて牡丹餅は食えぬ」も、苦労や行動なしに幸福を得ることはできないという、よく似た教えを表します。待っているだけでは食べ物さえ得られないという具体的な姿が、「運を待つは死を待つに等し」の考え方と重なっています。
このことわざは、運の存在そのものを否定する言葉ではありません。努力によって状況を変えられるのに、運任せにして貴重な時間を失うことを戒め、自分から一歩を踏み出すよう促す言葉として用いられます。
「運を待つは死を待つに等し」の使い方




「運を待つは死を待つに等し」の例文
- 合格を願うだけで勉強しない弟に、父は運を待つは死を待つに等しと諭した。
- 運を待つは死を待つに等しと考えた店主は、客を増やすために新しい商品を考えた。
- 監督は選手たちに運を待つは死を待つに等しと説き、苦手な守備の練習を重ねさせた。
- 仕事の依頼が来るのを待つばかりでは、運を待つは死を待つに等しになりかねない。
- 町の防災計画を立てずに災害が起こらないことを願うのは、運を待つは死を待つに等しである。
- 運を待つは死を待つに等しを心に刻み、彼女は自ら研究費の援助を申し出る企業を訪ねた。
主な参考文献
・小川環樹・西田太一郎・赤塚忠・阿辻哲次・釜谷武志・木津祐子編『角川新字源 改訂新版』KADOKAWA、2017年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・甲田の裾社編『甲田の裾』第9巻第12号、1938年。























