【ことわざ】
有って地獄、無くて極楽
【読み方】
あってじごく、なくてごくらく
【意味】
金や子どもなどは、持てば持ったで苦労や心配が増えるため、ないほうがかえって気楽だということ。


【類義語】
・有っても苦労、無くても苦労(あってもくろう、なくてもくろう)
「有って地獄、無くて極楽」の語源・由来
「有って地獄、無くて極楽」は、特定の中国故事の一場面から出た表現ではなく、日常生活の経験を短く言い表すことわざです。「有って」と「無くて」を向かい合わせ、その結果を「地獄」と「極楽」という強い対照で表す形になっています。ことわざは、古くから言い慣らわされた生活の知恵を、簡潔で語呂のよい表現にしたものと説明されますが、この表現も、持つことと持たないことの差を一息で印象づける言い方です。
「地獄」は、仏教などで苦しみの世界を指す言葉として広まりました。一方、「極楽」は阿弥陀仏の浄土(じょうど)を指す言葉で、『阿弥陀経(あみだきょう)』では、苦しみがなく楽しみに満ちているために極楽と名づけられると述べます。つまり、このことわざは「少しつらい」「少し楽だ」という程度ではなく、苦しみの極みと安らぎの極みを並べることで、持つことの重さと持たないことの気楽さを強く表しています。
日本のことわざでは、「地獄」と「極楽」を並べて、二つの状態の落差を表す言い方がよく使われます。たとえば『諺苑(げんえん)』(1797年・江戸時代後期、太田全斎著)は、俗語や俗諺(ぞくげん)を集めた国語辞書で、その中に「聞て極楽見て地獄」という表現があります。これは、人から聞いたときと自分で見たときとでは大きな違いがある、という意味のことわざです。
また、「地獄の沙汰も金次第」のように、地獄という仏教的な言葉を、世の中の金銭や人間関係の苦しみに重ねることわざもあります。この表現には「地獄極楽の道も銭」という関連する言い方があり、江戸時代の談義本『根無草』(1763〜1769年)にも用例があります。地獄や極楽は、死後の世界を表すだけでなく、この世の苦しさ、楽さ、損得をたとえる語としても働いてきたのです。
「有って地獄、無くて極楽」では、その対照が「持つ」と「持たない」に移されています。財産があれば保管、相続、盗難、争いなどの心配が起こり、子どもがいれば養育や将来への心配が伴います。もちろん、財産や子どもが大切でないという意味ではありません。大切なものを持つほど、守る手間や責任も大きくなる、という人生の一面を切り取った表現です。
表記には「無くて」のほか、「無うて」という形もあります。「無うて」は、古くからの口語的な響きを残した言い方で、「有って地獄、無うて極楽」と書かれることもあります。どちらも、持てば苦労があり、持たなければ気楽であるという中心の意味は同じです。
このことわざのおもしろさは、「あること」を単純によいものとしない点にあります。人はふつう、財産や大切なものを「あるほうがよい」と考えがちです。しかし、この表現は、手に入れたあとに始まる責任や心配に目を向けます。そこに、世の中を少し離れたところから眺めるような、皮肉を含んだ知恵があります。
したがって、「有って地獄、無くて極楽」は、何も持たないことを絶対にすすめることわざではありません。むしろ、持つことには喜びだけでなく苦労もついてくる、という現実を静かに示す表現です。手に入れる前のあこがれと、手に入れた後の責任の差を考えるとき、このことわざの意味がよく分かります。
「有って地獄、無くて極楽」の使い方




「有って地獄、無くて極楽」の例文
- 父は別荘を買ったが、管理費と修理に追われ、有って地獄、無くて極楽を思い知った。
- 高価な腕時計を持つようになってから、傷や盗難ばかり気になり、有って地獄、無くて極楽だと感じた。
- 祖父の遺産をめぐって親族が争い、有って地獄、無くて極楽という言葉が身にしみた。
- 店長になった友人は責任の重さに疲れ、有って地獄、無くて極楽だとこぼした。
- 人気の会員権を手に入れたものの、会費と予定調整に悩まされ、有って地獄、無くて極楽の状態になった。
- 大きな庭付きの家は立派だが、草取りや修理が絶えず、有って地獄、無くて極楽と思う日もある。
主な参考文献
・小学館『大辞泉』編集部編、松村明監修『大辞泉』小学館、1995年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・小学館編『日本大百科全書』小学館、1984〜1994年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・太田全斎『諺苑』1797年。























