【ことわざ】
江戸中の白壁は皆旦那
【読み方】
えどじゅうのしらかべはみなだんな
【意味】
江戸の町には奉公先がいくらでもある、転じて、今いる場所だけが働き口や生活の場ではないということ。


【英語】
・When one door closes, another opens(一つの道が閉ざされても、別の機会がある)
【類義語】
・此処ばかりに日は照らぬ(ここばかりにひはてらぬ)
・天道様と米の飯はついて回る(てんとうさまとこめのめしはついてまわる)
【対義語】
・背水の陣(はいすいのじん)
「江戸中の白壁は皆旦那」の語源・由来
「江戸中の白壁は皆旦那」は、江戸の商家で働く奉公人の感覚を背景にもつことわざです。ここでいう「江戸中」は、広い江戸の町全体を指し、「この店だけが働く場所ではない」という思いを表します。
「白壁」は、白く塗った壁のある家や土蔵(どぞう)を思わせる言葉です。白壁造りは、建物の外側を白壁で仕上げる造りをいい、とくに武家屋敷や大きな商家を指すことがあります。
江戸時代の商家では、土蔵造(どぞうづくり)のように、火事に備えて壁を厚く塗り込めた建物が店舗にも用いられました。そのため、白壁のある家は、財産をもつ大きな店や裕福な家の目印として受け取られやすかったのです。
「旦那」は、奉公人や使用人が主人を敬って呼ぶ言い方として使われました。つまり、このことわざの「白壁は皆旦那」は、白壁のある立派な商家には、それぞれ奉公人を使う主人がいる、という見方にもとづきます。
江戸時代の奉公人は、主家の家業や家事に従事して働く人を広く指しました。商家では、丁稚(でっち)や手代(てだい)などが店に仕え、住み込みや年季奉公の形で働くこともありました。
このことわざは、そうした奉公人が、今の奉公先に不満をもったときに、「江戸にはほかにも奉公先がある」とふてくされて言う言葉として伝わっています。単なる希望の言葉ではなく、少し強がりや捨てぜりふの響きをもつ点に特徴があります。
古い用例の一つに、『教訓喩草 絵本花の緑(きょうくんたとえぐさ えほんはなのみどり)』中巻があります。この本は、1763年・江戸時代中期、石川豊信画、須原屋茂兵衛ほか版の教育教本で、題名は「教訓喩草絵本花の緑」と記されています。
その中巻には、「江戸中の白壁は皆旦那」という形のことわざが出てきます。そこでは、白壁造りの土蔵があるような家はみな主人衆であり、主人と呼ぶべき相手は今の奉公先だけではない、という趣旨で説かれています。
この用例から、この言い方は江戸中期にはすでに、奉公人の境遇と結びついた教訓的な言葉として扱われていたことが分かります。江戸という大きな町、白壁のある大店(おおだな)、そこに仕える奉公人という三つの要素が重なって、今の形に近い意味が形づくられました。
後の江戸後期には、式亭三馬『浮世風呂(うきよぶろ)』(1809〜1813年・江戸時代後期、式亭三馬著)にも、「世界中が白壁造りだ」とする同じ発想の言い方が出てきます。『浮世風呂』は、銭湯に集まる江戸庶民の会話を通して当時の暮らしを描いた滑稽本(こっけいぼん)です。
この「世界中が白壁造りだ」という言い方は、「どこにでも主人となる家はある」「今の家だけにしがみつく必要はない」という考えを、さらに広く言い表しています。表現の形は少し違っても、白壁の家を働き口の象徴とする発想は共通しています。
現在では、江戸の奉公人に限らず、「今いる場所だけがすべてではない」「ほかにも生きる場所や働く場所はある」という意味で使えます。ただし、もともとはふてくされた奉公人の言葉という色合いがあるため、励ましとして使うときは、投げやりな響きにならないように注意が必要です。
「江戸中の白壁は皆旦那」の使い方




「江戸中の白壁は皆旦那」の例文
- 理不尽な扱いに耐えかねた奉公人は、江戸中の白壁は皆旦那とつぶやいて店を出た。
- 一つの会社に落ちても、江戸中の白壁は皆旦那と考え直し、別の働き口を探した。
- 江戸中の白壁は皆旦那という気持ちで、彼は合わない職場にしがみつくのをやめた。
- この町だけが生活の場ではないと知り、江戸中の白壁は皆旦那という言葉が心に浮かんだ。
- 厳しい親方のもとを離れるとき、弟子は江戸中の白壁は皆旦那と自分に言い聞かせた。
- 江戸中の白壁は皆旦那とはいえ、無責任に仕事を投げ出してよいという意味ではない。
主な参考文献
・現代言語研究会著『日本語を使いさばく 故事ことわざの辞典』あすとろ出版、2007年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・石川豊信画『教訓喩草 絵本花の緑』須原屋茂兵衛ほか、1763年。
・式亭三馬『浮世風呂』1809〜1813年。























