【ことわざ】
親を睨むと鮃になる
【読み方】
おやをにらむとひらめになる
【意味】
親をにらむと、罰が当たって目が片寄り、鮃のようになるということ。親に反抗したり、親を粗末に扱ったりしてはいけないという戒め。


「親を睨むと鮃になる」の語源・由来
「親を睨むと鮃になる」は、鮃の両目が体の片側に寄っている姿を、親をにらんだ者が受ける罰に見立てた言葉です。目を横へ向けて親をにらむような態度を取ると、その目が元へ戻らず、鮃のようになってしまうぞと脅すことで、親への反抗や無礼を戒めています。
実際の鮃は、生まれたときから両目が片側にあるわけではありません。生まれたばかりの鮃には、普通の魚と同じように、左右に一つずつ目がありますが、成長すると右目が頭の上を通って左側へ移り、やがて両目が体の左側に並びます。ことわざは、この成長の仕組みではなく、成魚の目立つ姿だけを取り入れて作られたものです。
古い用例は、室町時代末から近世初めごろの狂言(きょうげん)『伊呂波(いろは)』に出てきます。この作品は、寺子屋で手習いを始めさせようとする親が、子どもに「いろは」を教えるものの、親子のやり取りが思わぬ珍問答へと変わっていく話です。
その中に、「親をにらうで、かれといふうをにならうぞよ」とあります。現在の言葉に直すと、「親をにらんで、かれという魚になるなよ」という意味です。親をにらむと、目が片側に寄った魚になってしまうという戒めが、すでにこの時代の狂言の台詞として使われていました。
この古い台詞では、魚を「かれ」と呼んでいます。現在のことわざには、「鮃になる」という形のほかに、「鰈(かれい)になる」という言い方もあります。鮃も鰈も平たい体をもち、両目が体の片側にあるため、昔の人はどちらの魚も、にらんだ目がそのまま片寄った姿を表すものとして用いました。
狂言『伊呂波』に現れる形は、現在の「親を睨むと鮃になる」と一字一句同じではありません。「親をにらうで」という古い言い方が、後には「親を睨むと」という条件を表す形になり、魚の名も「かれ」から「鮃」または「鰈」へと、意味の分かりやすい表記に整えられました。
このことわざの「罰」は、親をにらんだ人の目が本当に移動するという意味ではありません。子どもにもすぐに思い浮かべられる魚の姿を使い、親に向ける反抗的な目つきや、親を軽んじる態度を強く戒めた、大げさな言い方です。鮃や鰈の体の特徴と、親を敬うべきだという昔の教えとが結びついています。
こうして、「親をにらめば魚になる」という具体的で恐ろしい警告が、親に反抗したり、粗末にしたりしてはいけないという教えを表すことわざとして定着しました。現在では、日常で耳にする機会は多くありませんが、昔の家庭で、子どもの態度を正すために用いられた言葉の一つです。
「親を睨むと鮃になる」の使い方




「親を睨むと鮃になる」の例文
- 祖母は、母親をにらんだ孫に、親を睨むと鮃になると厳しく注意した。
- 親を睨むと鮃になるとは、親に反抗して無礼な態度を取ることを戒めた言葉である。
- 父に叱られて横目でにらむ兄を見て、妹は親を睨むと鮃になるよとたしなめた。
- 昔は、子どもの態度を正すために、親を睨むと鮃になるという言葉を用いることがあった。
- 親を睨むと鮃になると言われた少年は、乱暴な目つきをやめて自分の考えを話した。
- 親を睨むと鮃になるということわざは、鮃の片寄った目を罰の姿に見立てている。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・山脇和泉著『和泉流狂言大成 第四巻』わんや江島伊兵衛、1919年。
・静岡県水産技術研究所『水技研らいぶらりぃ「ヒラメ稚魚生産」』2004年。























