【ことわざ】
籠で水汲む
【読み方】
かごでみずくむ
【意味】
苦労しても、方法が適切でないため、まったく成果が得られないことのたとえ。


【類義語】
・笊に水(ざるにみず)
・骨折り損のくたびれ儲け(ほねおりぞんのくたびれもうけ)
「籠で水汲む」の語源・由来
「籠で水汲む」は、竹などを編んで作った籠で水をすくう情景をたとえにしたことわざです。籠には編み目があるため、いくら水を汲んでも、運ぶ前に隙間から流れ落ちてしまいます。
このことから、懸命に働いても効果がなく、苦労ばかりが重なることを表すようになりました。努力そのものを否定するのではなく、成果を受け止められない道具や方法を使い続けることへの戒めです。
古い用例は、『塵塚物語(ちりづかものがたり)』(1552年成立・戦国時代、作者未詳)に出てきます。この作品は、さまざまな人物や出来事にまつわる話を集めた説話集です。
その中には、才能に恵まれなくても連歌(れんが)の修業を怠らず、ついには師として知られるようになった人物の話があります。周囲から修業をやめるよう勧められても、その人物は努力を重ね続けました。
この人物は、学問をしてもすぐに忘れてしまう人について、「たとへかごにて水をくむ程の健忘者なりとも」と述べています。ここでは、水をためられない籠の姿が、学んだことを心にとどめられない人のたとえになっています。
ところが、『塵塚物語』は、このたとえをそのままむだな努力の話として終わらせていません。籠でも、いつも水の中に沈めておけば、その内側は自然に水で満たされると続けています。
そして、物覚えが悪い人でも、絶えず書物に目を通して学び続ければ、やがて内容を理解できると説いています。「籠で水を汲む」という、本来は成果のない行いを表すたとえを、根気よく続けることの大切さへと巧みに転じた用例です。
この用い方からは、16世紀半ばには、籠で水を汲んでも中に水が残らないという情景が、むだな骨折りを表すたとえとして理解されていたことが分かります。その広く知られた意味があったからこそ、籠を水中に沈めるという逆の発想が生きたのです。
江戸時代には、近松門左衛門の浄瑠璃(じょうるり)『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』(1721年・江戸時代中期、近松門左衛門作)にも、「籠で水汲む如く、跡からぬけ」という形が出てきます。この作品は、享保6年(1721年)7月15日に大坂の竹本座で初演されました。
この箇所では、金をもうけてもそれ以上に使い、金が後から次々に抜けていく性分を、籠から水が流れ出す姿に重ねています。いくら中へ入れても何一つ残らないという、現在の意味に近い使われ方です。
『塵塚物語』では「かごにて水をくむ」と書かれていますが、『女殺油地獄』では「籠で水汲む」となっています。「にて」が「で」に変わり、「水を汲む」の助詞「を」が省かれた、現在の対象語と同じ形が、江戸時代にすでに使われていました。
現在では、実際に籠で水を運ぶことだけでなく、誤った方法を改めないまま努力を重ねることや、得たものが次々に失われ、何も残らないことを表します。苦労を実らせるには、ただ回数を重ねるだけでなく、成果が残る方法を選ぶ必要があると教えることわざです。
「籠で水汲む」の使い方




「籠で水汲む」の例文
- 集計方法を決めずにアンケートを何度も取り直すだけでは、籠で水汲むに終わる。
- 収入が入るたびにすべて使っていては、いくら働いても籠で水汲むも同然だ。
- 壊れた保存装置へデータを送り続ける作業は、籠で水汲むようなものだった。
- 担当者が替わるたびに記録を捨てる会社の改善活動は、籠で水汲むに等しい。
- 水漏れを直さずに何度も水槽を満たそうとするのは、まさに籠で水汲むだ。
- 練習方法の誤りを確かめず、同じ失敗を繰り返すのでは、籠で水汲むというものだ。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・『塵塚物語』1552年成立。
・近松門左衛門『女殺油地獄』1721年。























