【ことわざ】
悲しい時は身一つ
【読み方】
かなしいときはみひとつ
【意味】
悲しい境遇や苦しい状況に陥ったとき、結局頼れるものは自分自身しかないということ。


【英語】
・Every man for himself.(人が助け合わず、それぞれ自分で身を守る)
・shift for oneself.(人の助けなしに自分で何とかする)
【類義語】
・苦しい時は身一つ(くるしいときはみひとつ)
・悲しい時は身一心(かなしいときはみいっしん)
【対義語】
・苦しい時の神頼み(くるしいときのかみだのみ)
「悲しい時は身一つ」の語源・由来
「悲しい時は身一つ」は、つらい境遇に置かれたとき、人は結局、自分自身を頼みにするほかないという考えを表すことわざです。「悲しい時」は、単に涙の出る悲しさだけでなく、困窮や孤独をともなう苦しい境遇も含んでいます。
このことわざの要となる「身一つ」は、自分のからだだけ、または自分ひとりだけであることを表す言葉です。財産や助けを失ったあとに残るものは、わが身だけであるという実感が、このことわざの土台になっています。
「身一つ」という言い方そのものは古くからあります。『古事記(こじき)』(712年・奈良時代、太安万侶撰録)には「身一つにして面四つ有り」という形が出ており、ここでは、からだが一つであるという具体的な意味で用いられています。
また、『伊勢物語』(10世紀前ごろ成立、平安時代前期)には「わが身ひとつはもとの身にして」という歌の一節があり、ここでは、自分ひとりだけが昔のまま残っているという意味を表しています。からだの数としての「一つ」から、自分だけが残るという意味へ広がっていることが分かります。
ことわざとしての古い形は、『毛吹草(けふきぐさ)』(寛永15年序・1638年、江戸時代前期、松江重頼編)に見えます。『毛吹草』は俳諧に関わる語や言い回しを集めた書物で、この表現が早い時期から言い習わしとして扱われていたことを示しています。
この段階の表記では、「悲しい時は身一つ」ではなく、「悲時は身一つ」の形で示されます。意味は、悲しい境遇に陥ったときには、結局、わが身のほかに頼るものがないというものです。
江戸時代には、近い形の表現も用いられました。『傾城禁短気(けいせいきんたんき)』(1711年ごろ・江戸時代中期、江島其磧作)には、「かなしい時は身一心(イッシン)、広い都で口が一つ過ぎられず」という用例があります。
『傾城禁短気』は、八文字屋本の浮世草子で、江島其磧が作った六巻六冊の作品です。この用例では、広い都にいながら食べていくことさえ難しい苦境を背景に、頼るものが自分自身しかないという切迫した思いが表れています。
この用例では「身一つ」ではなく、「身一心」という形になっています。「一つ」と「一心」は形が異なりますが、どちらも、苦しいときに頼みとなるものが自分自身だけであるという同じ発想を表しています。
もともとの「身一つ」は、からだが一つであること、自分ひとりであることを表す言葉でした。そこに「悲しい時」という苦境の場面が重なることで、助けや財産を失ったとき、最後に残るのはわが身だけだという教訓をもつことわざになりました。
現在の「悲しい時は身一つ」は、人に助けを求めることを否定する言葉ではありません。人の情けが届かないときや、だれにも代わってもらえない苦しみに直面したとき、最後は自分で立つ覚悟が必要だと教える表現です。
「悲しい時は身一つ」の使い方




「悲しい時は身一つ」の例文
- 大きな失敗をして周りが離れていったとき、悲しい時は身一つという言葉の重みを知った。
- 親しい友人にも打ち明けられない悩みを抱え、悲しい時は身一つだと感じた。
- 家族の助けを受けられない状況で、悲しい時は身一つと思い、自分で手続きを進めた。
- 仕事で責任を問われたとき、悲しい時は身一つと覚悟して、最後まで説明した。
- 知らない町で財布をなくし、悲しい時は身一つという言葉が身にしみた。
- 悲しい時は身一つというが、だからこそ日ごろから自分で考えて動く力を養いたい。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松江重頼編『毛吹草』1638年序。
・江島其磧『傾城禁短気』1711年。
・小学館『デジタル大辞泉』小学館。
・Merriam-Webster, Merriam-Webster.com Dictionary, Merriam-Webster, 2026.























