【ことわざ】
蚊を殺すにはその馬を撃たず
【読み方】
かをころすにはそのうまをうたず
【意味】
馬にとまった蚊を殺すために馬まで傷つけては意味がないことから、手段のために根本の目的に反することをしてはならないという戒め。小事にかかずらって大事を忘れるなという意味にも用いる。


【英語】
・use a sledgehammer to crack a nut.(必要以上に大げさな力や手段を用いる)
【類義語】
・角を矯めて牛を殺す(つのをためてうしをころす)
・鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん(にわとりをさくにいずくんぞぎゅうとうをもちいん)
「蚊を殺すにはその馬を撃たず」の語源・由来
「蚊を殺すにはその馬を撃たず」は、馬にとまった蚊を殺そうとして、蚊よりもはるかに大切な馬を撃って傷つけては本末転倒である、というたとえから成ることわざです。小さな害を取り除くために、大きな目的や大切なものを損なってはならない、という教えを表しています。
この言葉の古い用例は、『太平記』(たいへいき)巻第十九に出てきます。『太平記』は南北朝時代の軍記物語で、全四十巻から成り、小島法師の作と伝えられますが作者は未詳で、応安年間、すなわち1368年から1375年ごろの成立とされています。
『太平記』巻第十九では、青野原の戦いをめぐる評定の場面で、土岐頼遠が「楚の宋義が『蚊を殺には其馬を撃ず。』と云しに似たるべし」と述べます。目の前を通る敵を、数が多いからといって攻めず、あとで相手が疲れるのを待つのは、宋義のような判断に似ている、という文脈です。
この宋義は、中国前漢の司馬遷が著した歴史書『史記』(しき)の「項羽本紀」に出てくる人物です。『史記』は上古から前漢の武帝の時代までを記した通史で、紀元前104年前後から編纂が始まり、前91年ごろには草稿がまとまったと考えられています。
『史記』「項羽本紀」では、秦軍が趙を攻めているとき、項羽がすぐに兵を進めて趙を救おうとします。これに対して宋義は、秦と趙を先に戦わせ、秦が疲れたところを楚軍が攻めるほうがよいと考え、安陽に四十六日とどまって進みませんでした。
宋義は、その説明の中で、「夫搏牛之虻不可以破蟣虱」と言います。これは、牛につく大きな虻を打つことでは、細かな虱まで取り除くことはできない、という趣旨のたとえで、力を向ける相手や時機を見きわめる考え方と結びついています。
しかし、宋義の慎重な待機は、項羽からは国の危機を救わない怠りと受け取られました。『史記』には、兵士が寒さと飢えに苦しむ中で宋義が進軍せず、項羽が宋義を斬って軍を掌握した流れが記されています。
『太平記』は、この宋義の故事をふまえながら、「蚊」と「馬」を用いる日本語の形で表しました。『史記』の「虻」や「蟣虱」のたとえが、そのままではなく、読者に分かりやすい「蚊を殺すために馬を撃たない」という形で受け止められたといえます。
そのため、このことわざは、単に「小さなものに大げさな手段を使うな」というだけではありません。小さな問題を処理するはずが、かえって大切な目的を壊してしまう危うさを戒めるところに、言葉の中心があります。
現在では、細かな欠点や小さな不都合にこだわりすぎて、全体の目的や大切な人・物を傷つけそうな場面で使われます。手段は目的を助けるためのものであり、目的そのものを損なってはならない、という考えを伝えることわざとして定着しています。
「蚊を殺すにはその馬を撃たず」の使い方




「蚊を殺すにはその馬を撃たず」の例文
- 一つの誤字を直すために冊子をすべて刷り直すのは、蚊を殺すにはその馬を撃たずの教えに反する。
- 軽い注意で済む失敗に厳しすぎる処分を下せば、蚊を殺すにはその馬を撃たずという結果になりかねない。
- 小さな虫を追い払うために植木を折ってしまっては、蚊を殺すにはその馬を撃たずである。
- 会議の進行を守るはずの規則が話し合いそのものを止めてしまい、蚊を殺すにはその馬を撃たずとなった。
- 費用のむだを減らそうとして必要な道具までなくすのは、蚊を殺すにはその馬を撃たずというものだ。
- 子どもの小さな失敗を直すときも、やる気まで失わせないよう、蚊を殺すにはその馬を撃たずを心に留めたい。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・司馬遷『史記』前91年ごろ。
・『太平記』14世紀後半成立。
・Oxford University Press『Oxford Advanced Learner’s Dictionary.』























