【ことわざ】
吉事門を出でず
【読み方】
きちじもんをいでず
【意味】
良い行いやよい評判は、世間に広く知れ渡りにくいこと。


【類義語】
・好事門を出でず(こうじもんをいでず)
・好事門を出でず、悪事千里を行く(こうじもんをいでず、あくじせんりをゆく)
【対義語】
・悪事千里を走る(あくじせんりをはしる)
「吉事門を出でず」の語源・由来
「吉事門を出でず」は、古くから伝わる「好事門を出でず」と同じ意味で用いられる形です。「好事」は、ここでは良い行いやよい評判を指し、「門を出でず」は、家の門の外へ出ないことから、世間に伝わらないことを表します。
もとの中国語の表現は、「好事不出門、悪事行千里」です。10世紀、五代の孫光憲が著した『北夢瑣言(ほくぼうさげん)』巻六に、「所謂好事不出門、惡事行千里」とあり、「いわゆる、良いことは門を出ないが、悪いことは千里の遠くまで伝わる」という意味を表しています。
この言葉は、後晋の宰相となった和凝(かぎょう)の逸話の末尾に出てきます。和凝は若いころ、艶めいた内容の曲子詞(きょくしし:曲に合わせて歌う詞)を作ることを好み、その歌は汴京(べんけい)や洛陽(らくよう)に広まりました。
和凝は宰相になると、若いころの作品が自分の名誉を傷つけることを恐れ、人を遣わして歌詞を集め、焼き捨てました。しかし、その評判を消すことはできず、遠く契丹(きったん)にまで伝わり、のちには「曲子相公」と呼ばれました。立派な地位に就いてから善行を重ねても、若いころの悪い評判だけが遠方まで広まっていたのです。
孫光憲は、この逸話を記したあとに「好事不出門、悪事行千里」を掲げ、身分ある者は自らの行いを慎まなければならないと戒めています。文頭に「所謂」とあることから、和凝の逸話から新しく生まれた言葉ではなく、当時すでに知られていた言い回しを、この出来事に当てはめたものだと分かります。
北宋の1004年に成立した『景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)』巻十二にも、「好事不出門、悪事伝千里」という形が出てきます。『北夢瑣言』の「悪事行千里」が「悪事伝千里」となり、悪いことは遠くまで伝わるという意味が、いっそう直接的に表されています。
日本では、南北朝時代ごろに成立した『曾我物語(そがものがたり)』に、後半に当たる「悪事千里をはしる」という言い方が出てきます。悪い出来事や悪評がたちまち広まるという部分は、早くから単独でも用いられていました。
さらに、1514年ごろの光悦本謡曲『藤戸(ふじと)』には、「好事門をいでず、悪事千里を逝け共」とあります。息子を殺された母親が、佐々木盛綱に悲しみと恨みを訴える場面で使われており、世間に広まる評判とは別に、親は決して我が子を忘れないという思いへと続いています。このころには、前半と後半を組み合わせた形が、日本語の作品にも定着していました。
もとの「好事」は、良い事柄や良い行いを表します。一方、「吉事」は普通、めでたい事柄や縁起のよい出来事を指しますが、「吉事門を出でず」という形では、「好事門を出でず」を受けて、良い行いやよい評判という意味で用いられます。
こうして、「好事門を出でず、悪事千里を行く」という対になった表現の前半が、「吉事門を出でず」という形でも使われるようになりました。現在では、善い行いや人の功績は目立ちにくく、悪い評判ほどには広まりにくいという、世間の傾向を表すことわざとなっています。
「吉事門を出でず」の使い方




「吉事門を出でず」の例文
- 毎朝だれにも言わず公園を掃除する彼の姿は知られておらず、吉事門を出でずとはこのことだ。
- 祖母が長年続けた寄付は近所でもほとんど知られず、吉事門を出でずを思わせた。
- 友人の失敗ばかり話題になる一方、地道な親切は広まらず、吉事門を出でずと感じた。
- 会社を陰で支えた社員の功績が知られないままなのは、まさに吉事門を出でずだ。
- 祭りのあとに黙ってごみを集めた若者たちは、吉事門を出でずの言葉どおり、名を知られなかった。
- 吉事門を出でずとはいえ、善い行いの価値まで失われるわけではない。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・円満字二郎編『小学館 故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・孫光憲『北夢瑣言』巻六、10世紀。
・釈道原編『景徳伝灯録』1004年。























