【故事成語】
僥倖は性を伐つの斧なり
【読み方】
ぎょうこうはせいをうつのおのなり
【意味】
努力せずに偶然の幸運だけを頼みにすることは、心や生き方を損ない、身を危うくするという戒め。


【英語】
・Don’t count on luck.(幸運を当てにするな)
【類義語】
・伐性之斧(ばっせいのおの)
【対義語】
・人事を尽くして天命を待つ(じんじをつくしててんめいをまつ)
「僥倖は性を伐つの斧なり」の故事
「僥倖は性を伐つの斧なり」は、中国前漢の韓嬰が著した『韓詩外伝(かんしがいでん)』(前漢、紀元前2世紀ごろ)巻九に出てくる言葉にもとづきます。『韓詩外伝』は、古くから伝わる故事や教訓を取り上げ、『詩経(しきょう)』の句と結び付けて説いた全十巻の書物です。
原文には、「徼幸者、伐性之斧也」とあります。日本語では、「徼幸は、性を伐つの斧なり」と読み下します。「伐つ」は、斧などで木を切ることであり、偶然の幸運を求める心を、人の本性を切り損なう斧にたとえた表現です。
原文では、対象語の「僥倖」ではなく、「徼幸」と書かれています。「徼幸」は、得られるかどうか分からない幸運を求めることを表し、「ぎょうこう」とも読みます。一方、「僥倖」には、思いがけない幸運という意味と、そのような幸運を願い待つという意味があります。
この一節は、身を修めるには慎みが欠かせないと説く文章の中に出てきます。その前には、欲望が強くなれば行いが損なわれ、怒りから心配事が生じ、わずかなきっかけから災いが起こり、一度失敗すれば元には戻せないと述べられています。
続いて、「徼幸者、伐性之斧也」、すなわち、まぐれの幸運を求めることは本性を切る斧であると述べます。そのあとには、欲望は災いを追い掛ける馬であり、でたらめな言葉は災いへ向かう道であり、人をそしることは困窮の住みかであるという、四つのたとえが並びます。
ここで大切なのは、思いがけない幸運に恵まれること自体を悪いとしているのではないという点です。成功するかどうかを偶然に任せ、正しい努力や慎重な判断を捨ててしまう心が、人の行いや徳性を内側から損なうと戒めています。これは、文章の終わりで、「君子は徼幸を去り、欲望を節し、忠信に努める」と説いていることからも分かります。
「伐性之斧」という比喩そのものは、『韓詩外伝』より古い『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』(戦国時代末、前239年ごろ、呂不韋編)の「本生」にも出てきます。『呂氏春秋』は、人の生命を養うはずの物に心を奪われ、かえって自分の生命を損なってはならないと説く書物です。
「本生」では、豪華な車による安楽を体を弱らせる仕掛け、脂の多い肉や強い酒を腸を腐らせる食べ物、色香や快楽的な音楽を「伐性之斧」と呼んでいます。楽しみのために求めたものが、度を越すと、かえって心身を害するという意味です。
『韓詩外伝』は、この「本性や生命を傷つける斧」という古い比喩を、偶然の幸運に頼る心へ結び付けました。また、前漢の劉向が編んだ『説苑(ぜいえん)』「敬慎」にも、ほぼ同じ文章があり、「徼幸を去り、忠信に努め、欲望を節する者を君子という」と説いています。
こうして、「徼幸者、伐性之斧也」という漢文は、日本語では「徼幸は性を伐つの斧なり」と読み下されました。さらに、日本語で「思いがけない幸運」や「幸運を願い待つこと」を広く表す「僥倖」の表記を用い、「僥倖は性を伐つの斧なり」という形でも伝わっています。
この故事成語は、一度の幸運を喜んではならないという教えではありません。まぐれでうまくいった経験に心を奪われ、努力や誠実さを軽んじるようになれば、その幸運が人を傷つける斧に変わると教えているのです。
「僥倖は性を伐つの斧なり」の使い方




「僥倖は性を伐つの斧なり」の例文
- 前回は山が当たったからと勉強しない生徒に、先生は僥倖は性を伐つの斧なりと戒めた。
- 偶然の大口契約ばかりを当てにする経営は、僥倖は性を伐つの斧なりという教えに反する。
- 宝くじで得た金を元手に賭け事を続ける姿は、まさに僥倖は性を伐つの斧なりである。
- 幸運な勝利に気を緩めた選手たちは、僥倖は性を伐つの斧なりという言葉を胸に、基礎練習へ戻った。
- 根拠のない値上がりを期待して全財産を投じるのは、僥倖は性を伐つの斧なりといえる危うい行為だ。
- 事故を免れた幸運に甘えて危険な運転を繰り返せば、僥倖は性を伐つの斧なりという結果を招く。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・韓嬰『韓詩外伝』前漢、紀元前2世紀ごろ。
・劉向『説苑』前漢。
・呂不韋編『呂氏春秋』戦国時代末、前239年ごろ。























