【故事成語】
巾幗の贈
【読み方】
きんかくのぞう
【意味】
意気地がなく、戦う勇気に欠けることを辱めるため、女性の身につける物を贈ること。また、相手の臆病な態度をあざける強い挑発。


【類義語】
・亮遺巾幗(りょういきんかく)
「巾幗の贈」の故事
「巾幗の贈」は、中国の歴史書『晋書(しんじょ)』「宣帝紀(せんていき)」に記された、諸葛亮(しょかつりょう)と司馬懿(しばい)の対陣にもとづく故事成語です。「巾幗之贈」とも書きます。
「巾幗」とは、中国で女性が髪を覆うために用いた飾りです。一説には、女性が喪中にかぶる頭巾を指すともいい、そこから、女性そのものや女性的なものを表す言葉としても使われました。
『晋書』(唐、648年成書、房玄齢ら撰)は、西晋と東晋の歴史を記した百三十巻の正史です。司馬懿は晋の建国以前に亡くなりましたが、孫の司馬炎が晋を建てたのち、「宣帝」と尊ばれたため、その生涯が「宣帝紀」の冒頭に置かれています。
故事の舞台は、234年に行われた五丈原(ごじょうげん)の戦いです。蜀の丞相であった諸葛亮は、魏を討つために軍を進め、魏軍を率いる司馬懿と五丈原で向かい合いました。
諸葛亮の軍は遠く蜀から攻め込んでいたため、戦いが長引けば、兵糧の確保が難しくなります。これに対して魏の朝廷は、司馬懿に軽々しく決戦を挑まず、守りを固めて情勢の変化を待つよう、繰り返し命じていました。
諸葛亮は何度も司馬懿へ戦いを挑みましたが、司馬懿は陣から出ようとしませんでした。そこで諸葛亮は、司馬懿に「巾幗婦人之飾」、すなわち女性用の髪飾りを贈りました。
『晋書』には、「亮数(しばしば)挑戦すれども、帝出でず、因りて帝に巾幗婦人の飾りを遺(おく)る」という内容が記されています。原文に「巾幗之贈」という四字がそのまま出てくるのではなく、諸葛亮が女性用の装身具を贈った行為が述べられています。
当時、武将である男性へ女性の装身具を贈ることは、「戦場へ出る勇気がない」「武将にふさわしい気概を欠いている」とあざける意味をもちました。諸葛亮は、司馬懿の名誉を傷つけ、怒らせて陣から誘い出そうとしたのです。
贈り物を受け取った司馬懿は怒り、魏の皇帝へ決戦の許可を求めました。しかし、皇帝はこれを認めず、辛毗(しんぴ)を使者として軍中へ送り、司馬懿が命令に反して出撃しないようにしました。
その後、諸葛亮が再び戦いを挑むと、司馬懿は出撃しようとしましたが、辛毗が皇帝の使者であることを示す節(せつ)を持って軍門に立ち、これを止めました。諸葛亮の部下である姜維(きょうい)は、辛毗が来た以上、敵はもう出てこないだろうと述べました。
これに対して諸葛亮は、司馬懿にはもともと戦う意思がなく、決戦を願い出たのも、部下たちに勇ましい姿を示すためにすぎないと見抜きました。本当に自分を打ち破れると思っているなら、遠く離れた皇帝へ、わざわざ許可を求める必要はないというのです。
両軍の対陣は百日余りに及びましたが、司馬懿は挑発に乗らず、守りを続けました。その間に諸葛亮は病に倒れ、五丈原の陣中で亡くなり、蜀軍は撤退しました。
この出来事では、女性用の髪飾りが普通の贈り物ではなく、相手の勇気や気概を否定する侮辱の道具として用いられています。そのため、後にこの行為をまとめて「巾幗之贈」または「巾幗の贈」と呼び、意気地のない態度を辱めることを表すようになりました。
ただし、この故事には、女性の装いを弱さの象徴とした古代の価値観が表れています。現代では、その考え方をそのまま人に向けるよりも、歴史上の挑発や、相手の名誉を傷つけて行動を促そうとする策略を説明する言葉として用いるのが適切です。
「巾幗の贈」の使い方




「巾幗の贈」の例文
- 諸葛亮は司馬懿を陣から誘い出すため、巾幗の贈という強い挑発を用いた。
- 敵将は巾幗の贈を受けて激怒したが、軍令を守って出撃を思いとどまった。
- 歴史劇では、使者が巾幗の贈を届ける場面が緊張感をもって描かれた。
- 巾幗の贈は、相手の臆病さをあざけり、名誉を傷つけて行動を促す策略である。
- 司令官は巾幗の贈の意図を見抜き、感情に任せて決戦を挑むことを避けた。
- 巾幗の贈という故事から、戦場では武力だけでなく心理的な駆け引きも行われたことが分かる。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・房玄齢等撰『晋書』中華書局、1974年。























