【ことわざ】
餓鬼の目に水見えず
【読み方】
がきのめにみずみえず
【意味】
求めるものを強く望みすぎて、すぐ近くにあるのに気づかないことのたとえ。また、一つのことに熱中しすぎて、肝心なものを見落とすことのたとえ。


【英語】
・right under one’s nose.(すぐ目の前にあるのに気づかない)
【類義語】
・鹿を逐う者は山を見ず(しかをおうものはやまをみず)
・灯台下暗し(とうだいもとくらし)
「餓鬼の目に水見えず」の語源・由来
「餓鬼の目に水見えず」の「餓鬼」は、仏教において、常に飢えと渇きに苦しむ亡者を指します。餓鬼は、行いの報いによって生まれ変わるとされた六道(ろくどう)のうち、餓鬼道に住む存在として語られてきました。
「餓鬼」のもとになったサンスクリット語の「プレータ」は、もともと死者の霊を表しました。それが仏教では、飲食物を得られず、飢えに苦しむ死者の霊を指すようになり、中国で「餓鬼」と訳されました。
仏教の経典では、餓鬼は生前の物惜しみや貪欲などの報いによって、食べ物や水を得られない苦しみを受けると説かれます。その姿は、地獄・畜生とともに、三悪道(さんあくどう)の一つとしても位置づけられました。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて作られた『餓鬼草紙(がきぞうし)』(12世紀)にも、水や食べ物を得られずに苦しむ餓鬼が描かれています。川の水を飲めず、人の体から滴り落ちるわずかな水しか口にできない餓鬼など、水が近くにありながら思うように得られない姿が表されています。
こうした餓鬼の極端な渇きが、このことわざの土台になっています。ことわざの見立てでは、餓鬼は水を求める気持ちがあまりに強いため、かえって、そばにある水さえ目に入らないものとされています。
ここでいう「目に水見えず」は、目が見えないという意味ではありません。欲しいという気持ちや焦りに心を奪われ、必要なものを正しく見つけられない状態を、目に入らない姿にたとえた表現です。
古い用例は、『伊曾保物語(いそほものがたり)』(1639年ごろ・江戸時代前期、作者・訳者未詳)下巻にあります。『伊曾保物語』は、西洋の「イソップ物語」を日本語に移した仮名草子(かなぞうし)で、イソップの伝記や動物の寓話(ぐうわ)を収めた作品です。
その箇所では、馬は人が乗るために飼うものであるのに、馬を先に歩かせ、主人がその後ろを歩くという、目的と行動が逆になった姿を取り上げています。そして、「がきの目に水みえぬといふも此事にや」と、このことわざが添えられています。
この場面では、主人のすぐそばに、移動に使える馬がいます。それにもかかわらず、主人は馬を利用せずに歩いているため、必要な手段が目の前にありながら気づかない例として、「餓鬼の目に水見えず」が用いられています。
古い用例では、「がきの目に水みえぬ」と書かれています。「見えぬ」も「見えず」も「見えない」という意味であり、のちに漢字を交えた「餓鬼の目に水見えず」という形が定着しました。
このことわざは、初めの段階から、単に水を探す場面だけを表したものではありませんでした。すぐそばに役立つ物や手段があるのに、それを使わず、肝心なものを見落としている状態を表す言い方として使われていました。
現在では、探し物を焦って見落とす場合だけでなく、一つの目的に夢中になるあまり、身近な解決策や大切な事柄に気づかない場合にも用いられます。強く求めるときほど、いったん落ち着いて周囲を見ることの大切さを伝えることわざです。
「餓鬼の目に水見えず」の使い方




「餓鬼の目に水見えず」の例文
- 鍵を必死に探していた父は、机の上に置かれた鍵に気づかず、餓鬼の目に水見えずとなっていた。
- 新しい部員ばかりを求め、今いる部員の才能を見落とすのは、餓鬼の目に水見えずというものだ。
- 難しい参考書を次々に開きながら、教科書に書かれた答えを見逃す姿は、餓鬼の目に水見えずに当たる。
- 遠くの店まで品物を探しに行ったが、近所の店に並んでおり、まさに餓鬼の目に水見えずだった。
- 外部から優秀な人材を招こうとするあまり、社内の適任者に気づかないのは、餓鬼の目に水見えずである。
- 新しい解決策を考えることに熱中し、以前の記録にある有効な方法を見落としたのは、餓鬼の目に水見えずの例だ。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・『新纂浄土宗大辞典』浄土宗、2016年。
・『伊曾保物語』1639年ごろ。
・『餓鬼草紙』12世紀。























