【ことわざ】
女と坊主に余り物がない
【読み方】
おんなとぼうずにあまりものがない
【意味】
僧侶にはいつも務めがあり、女性にもいずれ結婚相手が現れるので、どちらも世間から必要とされなくなることはないという古いたとえ。


【類義語】
・女と坊主にすたり物はない(おんなとぼうずにすたりものはない)
・女にすたりなし(おんなにすたりなし)
「女と坊主に余り物がない」の語源・由来
「女と坊主に余り物がない」は、「余り物」という日常の言葉を、人にたとえて用いたことわざです。「余り物」は本来、必要とされずに残った物や、使い道がなくなった物を指します。このことわざでは、相手や務めが見つからず、世間から取り残された人という比喩的な意味になっています。
「坊主」は、もとは寺院の中にある坊(ぼう)という建物の主を表した言葉です。室町時代以後、意味が広がり、広く僧侶(そうりょ)を指すようになりました。このことわざの「坊主」も、髪形などを表すのではなく、寺で仏事を務める僧侶を指します。
僧侶に「余り物がない」とされた背景には、寺と人々の暮らしが深く結びついていた社会があります。江戸時代の寺檀制度(じだんせいど)では、人々はそれぞれ檀那寺(だんなでら)を定め、寺は檀家(だんか)の葬儀や法要などを長く受け持ちました。出生・結婚・旅行・転居などの際にも、寺が発行する証明が必要とされたため、僧侶には地域社会の中で絶えず務めがありました。
ただし、この制度が、そのままことわざの発生源であると断定することはできません。僧侶は葬儀や供養をはじめ、どこかで必ず必要とされるという広く共有された見方が、「坊主に余り物がない」というたとえを支えたといえます。
一方、「女に余り物がない」は、どのような女性にも、やがて似合いの結婚相手が現れるという意味です。現在のように生き方を自由に選びにくかった時代には、女性の生活や立場が、結婚と強く結びつけられていました。そのため、いつまでも結婚相手が見つからず、独りで取り残される女性はいないという考えが、ことわざの形になりました。
このことわざには、「女と坊主にすたり物はない」や「女にすたりなし」という近い形もあります。「廃り物(すたりもの)」は、以前は役立っていたものの、今では用いられず、価値がないと見なされた物や人を指します。「余り物」と「すたり物」は言葉こそ異なりますが、女性にも僧侶にも、まったく必要とされなくなる者はいないという考えは共通しています。
大正時代には、この考えを短く表した近い言い方が、文章に現れています。徳冨健次郎の『みみずのたはこと』(大正2年、徳冨健次郎著)には、子どもを産んだ若い女性が、のちに別の男性と結婚して幸福に暮らす話の中で、「然し女に廃物(すたり)は無い」とあります。ここでは、事情を抱えた女性にも結婚の縁があり、いつまでも取り残されるわけではないという意味で使われています。
この近い用例からも、「女に余り物がない」という部分が、女性にはいずれ結婚の縁があるという古い婚姻観と結びついていたことが分かります。そこへ、務めの絶えない僧侶を並べることで、現在の「女と坊主に余り物がない」という対句の形になっています。
このことわざは、一見すると、誰にでも必要とされる場所があるという励ましにも受け取れます。しかし、女性を「余り物」にたとえ、その価値を結婚相手の有無によって測る考えも含んでいます。現代では、人の価値や生き方は結婚によって決まるものではないため、誰かに直接言うよりも、昔の社会や婚姻観を学ぶためのことわざとして扱うのが適切です。
「女と坊主に余り物がない」の使い方




「女と坊主に余り物がない」の例文
- 女と坊主に余り物がないは、女性の結婚と僧侶の務めを並べた古いことわざである。
- 祖母は昔、縁談を心配する娘を励ますために、女と坊主に余り物がないと言った。
- 民俗資料館では、女と坊主に余り物がないを、昔の婚姻観を伝える表現として紹介していた。
- 国語の授業で、女と坊主に余り物がないに含まれる「余り物」の比喩について考えた。
- 研究会では、女と坊主に余り物がないから、寺院と地域社会との関係を読み解いた。
- 女と坊主に余り物がないを現代の女性に向けて使えば、結婚を押しつける言い方になりかねない。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・アジタ・シンデ「女性に関することわざと現代の女性」『日本語・日本文化研修プログラム研修レポート集』広島大学。
・徳冨健次郎『みみずのたはこと』福永書店、1913年。























