【慣用句】
草葉の陰で喜ぶ
【読み方】
くさばのかげでよろこぶ
【意味】
亡くなった人が、生きている人の成長や成功などを、あの世で喜んでいるだろうと表す言い方。


「草葉の陰で喜ぶ」の語源・由来
「草葉の陰」は、もともと、草の葉の下や草に覆われた陰を表す言葉です。そこから、草の下にある墓、さらに、死者のいるあの世を指すようになりました。「草葉の陰で喜ぶ」は、この「草葉の陰」に「喜ぶ」が結び付き、亡くなった人があの世で喜んでいることを表す形です。
「草葉の陰」よりも古く、同じ意味で使われた言い方に「草の陰」があります。『平家物語(へいけものがたり)』(鎌倉時代前期成立、作者未詳)には、「草の陰」を、死後の世界や墓の下という意味で用いた例がいくつも伝わっています。
なかでも、巻七「忠度都落(ただのりのみやこおち)」には、現在の「草葉の陰で喜ぶ」に直接つながる表現が出てきます。平家一門が都を離れる中、平忠度(たいらのただのり)は引き返し、和歌の師である藤原俊成を訪ねて、自作の歌を収めた巻物を託しました。
忠度は、その中から一首でも勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう:天皇や上皇の命によって編む歌集)に選ばれれば、「草の陰にてもうれしと存じ候はば」と俊成に告げます。これは、自分が戦死したのちであっても、歌が後世に残れば、あの世でうれしく思うという意味です。
この場面には、「草の陰」と「うれしい」という二つの要素が、すでに一つの文の中にそろっています。表記は現在の「草葉の陰で喜ぶ」と異なりますが、亡くなった者が、生きている人の働きや、自分の願いが実現することを死後に喜ぶという意味は、現在の用法とよく重なります。
忠度の歌は、のちに俊成が編んだ『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』に、作者名を伏せた「詠み人知らず」として収められました。物語の中で忠度が願ったとおり、歌そのものは後世に伝わったため、「草の陰にてもうれし」という言葉が、いっそう深い余韻をもつ場面となっています。
現在と同じ「草葉の陰」という形は、室町時代後期の御伽草子(おとぎぞうし)『天狗の内裏(てんぐのだいり)』にも出てきます。そこには、「くさはのかけにて、まもりの神と、ならせたまいて」とあり、亡くなった人が、あの世から残された者を守るという意味で使われています。
「草葉の陰」は、室町時代後半になると、御伽草子のほか、狂言(きょうげん)や説経(せっきょう)などの会話文にも多く使われるようになりました。「草の陰」という古い形から「草葉の陰」という形へと移りながら、死者のいる場所をやわらかく遠回しに表す言葉として広まっていったのです。
現在では、「亡き父も草葉の陰で成功を喜んでいるだろう」のように、故人の願いや教えを受け継いだ人が成果を上げた場面で、よく用います。「草葉の陰」は墓の下やあの世を指すため、生きている人について使う表現ではありません。
このように、「草葉の陰で喜ぶ」は、鎌倉時代の「草の陰にてもうれし」という表現にも通じる、長い歴史をもつ言い方です。故人の願いが受け継がれ、その人に喜んでもらえるような成果が生まれたことを、敬意と追慕(ついぼ:亡くなった人を懐かしく思うこと)を込めて表します。
「草葉の陰で喜ぶ」の使い方




「草葉の陰で喜ぶ」の例文
- 祖父が開いた店を孫が立派に守っていると知れば、祖父も草葉の陰で喜ぶことだろう。
- 亡き恩師も、教え子たちの全国大会優勝を草葉の陰で喜ぶに違いない。
- 父の遺志を継いで研究を完成させた彼を、父も草葉の陰で喜ぶことだろう。
- 長年続けてきた地域の祭りが復活し、創設者も草葉の陰で喜ぶと思う。
- 祖母が願っていた家族の再会がかない、祖母も草葉の陰で喜ぶに違いない。
- 災害で失われた記念館が再建され、建設に尽くした故人たちも草葉の陰で喜ぶことだろう。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・市古貞次校注・訳『新編日本古典文学全集45 平家物語1』小学館、1994年。
・横山重・松本隆信編『室町時代物語大成 第9 たま〜てん』角川書店、1981年。
・『平家物語』鎌倉時代前期成立。
・『天狗の内裏』室町時代後期成立。























