【ことわざ】
縁と浮世は末を待て
【読み方】
えんとうきよはすえをまて
【意味】
良縁や人生の好機は、あせって求めても思うようにはならず、自然に訪れる時を待つべきだということ。


【英語】
・Good things come to those who wait(よいことは待つ人に訪れる)
【類義語】
・縁と月日(えんとつきひ)
・縁と月日の末を待て(えんとつきひのすえをまて)
・果報は寝て待て(かほうはねてまて)
・待てば海路の日和あり(まてばかいろのひよりあり)
【対義語】
・善は急げ(ぜんはいそげ)
「縁と浮世は末を待て」の語源・由来
「縁と浮世は末を待て」は、「縁」と「浮世」という二つの言葉を組み合わせて、良縁と人生の好機は、あせっても思いどおりにはならないことを表したことわざです。ここでいう「縁」は、人や物事とのつながり、かかわりあい、婚姻によって生じる関係などを指します。
「浮世」は、もとは「憂き世」とも書き、つらいことの多い現世、無常のこの世を表す言葉でした。のちには、死後の世に対するこの世、現実の人生、さらに近世には遊里や享楽的な世の中を表す意味にも広がりました。
このことわざの「浮世」は、遊びの世界だけを狭く指すのではなく、人が生きていくこの世や、人生の成り行きを含む言葉として用いられています。そのため、「縁」と並べることで、人の結びつきも世の中の好機も、時が熟すのを待つものだという考えを表します。
古い用例として、歌謡『吉原はやり小歌総まくり』(1660年ごろ・江戸時代前期)に「思ひ捨つるな、叶はぬとても、縁と浮世は末を待て」とあります。かなわないと思っても、すぐにあきらめず、縁や世の中の成り行きは先々を待て、という調子の歌です。
この用例では、恋や男女の縁にかかわる場面で、この言葉が用いられています。「思ひ捨つるな」という言い方からも、すぐに望みを捨てるのではなく、時が移れば別の道が開けるかもしれないという気持ちが伝わります。
「末を待て」の「末」は、ここでは物事の終わりだけでなく、これから先、将来、成り行きの先を含む言葉です。したがって、このことわざは「ただ何もしないでいよ」という意味ではなく、あせって無理に動かず、先のめぐり合わせを待てという意味になります。
後には、このことわざを縮めた形、または近い形として「縁と月日」も用いられました。「縁と月日」は上方いろはガルタの句とされ、「縁と浮世は末を待て」と同じ意味をもつ言葉として伝わっています。
「縁と月日」の古い用例には、長唄『柳雛諸鳥囀』(1762年・江戸時代中期)の「縁と月日の廻りくるくる車傘」があります。ここでは、縁も月日もめぐりめぐって来るものとして表され、時を待つ感覚が強く出ています。
さらに「縁と月日の末を待て」という形もあり、男女の良縁や人生の好機は、あせらずじっくり待つのがよいという意味で用いられます。「浮世」が「月日」に置き換わると、世の中の成り行きよりも、時間の経過を待つことが前に出ます。
このように、「縁と浮世は末を待て」は、近世の歌謡に見える恋の言葉から、良縁や好機を待つ広い人生訓として受け継がれてきました。現在では、結婚や恋愛だけでなく、仕事、友人関係、人生の転機にも使われ、あせらず時を待つ知恵を伝えることわざになっています。
「縁と浮世は末を待て」の使い方




「縁と浮世は末を待て」の例文
- 良い就職先にすぐ出会えなくても、縁と浮世は末を待てと思い、準備を続けた。
- 友人は婚活が思うように進まず落ち込んでいたが、縁と浮世は末を待てと自分に言い聞かせていた。
- 商談が一度流れても、縁と浮世は末を待てで、後日さらによい条件で話が戻ってきた。
- 転校先でなかなか友だちができなかったが、縁と浮世は末を待てというように、少しずつ気の合う仲間に出会えた。
- 祖母は、人生には急いでもつかめない幸運があるから、縁と浮世は末を待てを忘れるなと言った。
- 希望の部活動に入れなかった兄は、縁と浮世は末を待てと考え、次の募集まで地道に練習した。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・『吉原はやり小歌総まくり』1660年ごろ。
・『柳雛諸鳥囀』1762年。
・Wiktionary contributors『Wiktionary』。























