【ことわざ】
親は親、子は子
【読み方】
おやはおや、こはこ
【意味】
親と子でも、性格や才能、心の持ち方などが同じとは限らず、それぞれ別の人間であるということ。


【類義語】
・形は産めども心は産まぬ(かたちはうめどもこころはうまぬ)
【対義語】
・瓜の蔓に茄子はならぬ(うりのつるになすびはならぬ)
・親が親なら子も子(おやがおやならこもこ)
「親は親、子は子」の語源・由来
「親は親、子は子」の古い用例は、『古事談(こじだん)』(1212〜1215年ごろ成立・鎌倉時代初期、源顕兼編)の巻第四に出てきます。『古事談』は、奈良時代から鎌倉時代初期までの出来事を集め、内容によって六つに分けた説話集(せつわしゅう)で、巻第四には、武士にまつわる話が収められています。
この話では、平安時代後期の武将である源義家(みなもとのよしいえ)と源光国が言い争います。そのとき、義家は、自分が光国の父に示した「手心(てごころ:事情をくみ、厳しくしすぎないこと)」について、父に尋ねれば分かるという趣旨の言葉を述べました。
これに対して、光国は「親は親、子は子也」と答えます。「父親は父親、自分は自分である」という意味で、父が義家から受けた扱いや、父と義家との関係を、そのまま自分に当てはめることを退けた言葉です。
義家がいう「手心」には、これより前の出来事が関係しています。義家の家来が美濃国で、光国の父である源国房から乱暴な扱いを受け、弓を切られたため、義家は国房のもとへ向かおうとしました。
このとき、義家の父である源頼義は、逆修(ぎゃくしゅ:生前に自分の死後の冥福を祈る仏事)を営んでおり、義家を引き止めました。しかし、義家は従わず、国房の屋敷へ向かい、戦いを起こします。
国房が逃げ出すと、義家の家来は、追いかけて討つべきかと尋ねましたが、義家はそれを許しませんでした。怒って屋敷を攻めながらも、相手の命までは奪わなかったため、『古事談』は、この振る舞いを「手心」と結び付けて記しています。
その後、義家は光国との言い争いの中で、自分が光国の父を追い詰めながらも、命を取らなかったことを持ち出しました。それに対する「親は親、子は子也」という返答は、父が受けた恩や経験によって、子まで同じ態度を求められるわけではないという考えを表したものと読めます。
古い本文では、言い切りの助字である「也」を付けた「親は親、子は子也」という形で書かれています。後には「也」が省かれ、「親」と「子」を同じ形で対にした「親は親、子は子」という短い言い方として定着しました。
もともとの用例では、父と子を同じ立場に置かないという強い返答として使われていました。そこから意味が広がり、現在では、親子であっても性格・才能・心情まで同じとは限らず、一人一人を別の人間として見るべきだという意味で用いられています。
このことわざは、親子のつながりを否定するものではありません。親の評判だけで子を評価したり、親の希望する生き方をそのまま子に求めたりせず、それぞれの個性や考えを認める大切さを伝える言葉です。
「親は親、子は子」の使い方




「親は親、子は子」の例文
- 父が優れた野球選手でも、息子まで同じ道を選ぶとは限らず、親は親、子は子である。
- 母は人前で話すことが得意だが、娘は静かに本を読むことを好み、親は親、子は子だと分かる。
- 親は親、子は子なのだから、親の成績だけを見て子どもの能力を決めつけてはいけない。
- 老舗を継がず研究者を目指す息子を、父は親は親、子は子と考えて応援した。
- 親の意見を大切にしながらも自分で進路を選ぶことは、親は親、子は子という考えにかなっている。
- 有名な芸術家の子であっても同じ才能をもつとは限らないため、親は親、子は子として本人を評価すべきだ。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・集英社辞典編集部編『会話で使えることわざ辞典』集英社、1989年。
・国史研究会編『国史叢書 古事談・続古事談・江談抄』国史研究会、1914年。























