【故事成語】
靴新しと雖も冠となさず
【読み方】
くつあたらしといえどもかんむりとなさず
【意味】
上下・貴賤の区別を守り、自分の身分や立場の分を越えてはならないというたとえ。


【類義語】
・冠旧けれど沓に履かず(かんむりふるけれどくつにはかず)
【対義語】
・冠履顛倒(かんりてんとう)
「靴新しと雖も冠となさず」の故事
「靴新しと雖も冠となさず」は、中国の史書『史記(しき)』(前91年ごろ成立、前漢、司馬遷著)の「儒林列伝(じゅりんれつでん)」にある、冠と履物を対比した言葉に基づきます。『史記』は、本紀・表・書・世家・列伝から成る全百三十巻の歴史書です。
冠と履物を用いて上下の区別を説く発想は、それ以前の『韓非子(かんぴし)』(中国戦国時代末期、韓非著)にも出てきます。「外儲説左下(がいちょせつさか)」では、冠は粗末でも頭にかぶり、履物は高価でも足に履くという言葉によって、上に置くものと下に置くものとの位置を乱してはならないと説いています。
『史記』の場面では、前漢の景帝の前で、儒学者の轅固生(えんこせい)と黄生(こうせい)が、放伐(ほうばつ:悪政を行う君主を武力で倒すこと)の是非を論じました。議題となったのは、殷の湯王(とうおう)が夏の桀王(けつおう)を倒し、周の武王(ぶおう)が殷の紂王(ちゅうおう)を討った王朝交代です。
轅固生は、桀王と紂王が乱暴な政治を行ったため、人々の心が湯王と武王へ移り、二人は天下の人々とともに悪王を討ったのだと主張しました。そのうえで、新しい王となったのは天命を受けた結果であり、正しい王朝交代であったと説きました。
これに対して、黄生は「冠雖敝、必加於首。履雖新、必關於足。何者、上下之分也」と述べました。冠は破れていても頭に載せ、履物は新しくても足に履くのは、上下の区別があるためだ、という意味です。
黄生は、このたとえを君主と臣下との関係に当てはめました。桀王と紂王が道を失っていても君主であり、湯王と武王が立派な人物であっても臣下である以上、君主を殺してその地位に代わることは許されないと論じたのです。
すると轅固生は、その考えに従えば、漢の高祖が秦を倒して皇帝となったことも正しくないのかと問い返しました。議論が漢王朝そのものの正当性に及んだため、景帝は、学者は湯王と武王が天命を受けたかどうかを論じなくても、愚かとはいえないと述べ、話を打ち切りました。
この「冠は古くても頭に、履物は新しくても足に」という言い方は、前漢末に劉向が編んだ『説苑(ぜいえん)』にも「冠雖故、必加於首。履雖新、必關於足」と記され、後漢の班固が編んだ『漢書(かんじょ)』にも受け継がれました。冠と履物の位置を通して、上下には定まった区別があると説く言葉として広まったのです。
日本では、『譬喩尽(たとえづくし)』(1786年序・江戸時代後期、松葉軒東井編)に、「沓新しといえどもなお地を踏む」という形が収められています。この用例では、新しい履物であっても、地面を踏む位置は変わらないという形で、上下の分を守る教えを表しています。
中国の原文は「履雖新、必關於足」といい、「新しい履物でも必ず足に履く」という表現です。日本語では、その意味を簡潔に言い換えた「沓新しと雖も冠となさず」や「首に加えず」が用いられ、「沓」「履」「靴」は、いずれも「くつ」を表す字として使われてきました。
したがって、「靴新しと雖も冠となさず」は、単に靴と冠の用途が違うというだけの言葉ではありません。本来は、履物がどれほど新しく立派でも頭には載せないという対比を通して、身分や立場には、越えてはならない分があると説く故事成語です。
「靴新しと雖も冠となさず」の使い方




「靴新しと雖も冠となさず」の例文
- 古い家臣は、若い武将が主君を押しのけようとするのを見て、靴新しと雖も冠となさずと戒めた。
- 新しい制度を作っても、担当者が権限を越えて命令してよいわけではなく、靴新しと雖も冠となさずである。
- 歴史の授業では、靴新しと雖も冠となさずが、古代中国の君臣の区別を表す言葉として紹介された。
- 組織の役割を無視して一人で重要事項を決めた彼は、靴新しと雖も冠となさずと批判された。
- 靴新しと雖も冠となさずという考えに従い、若者はまず自分の任務を果たすことに努めた。
- その物語は、靴新しと雖も冠となさずを用いて、当時の厳しい身分秩序を描いている。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・司馬遷著、小竹文夫・小竹武夫訳『史記 8 列伝四』筑摩書房、1995年。
・韓非『韓非子』中国戦国時代末期。
・劉向編『説苑』前漢末。
・班固『漢書』後漢、1世紀。
・松葉軒東井編『譬喩尽』1786年序。























