【故事成語】
雲となり雨となる
【読み方】
くもとなりあめとなる
【意味】
雲や雨のように姿や状態が変わり、どちらとも定まらないこと。また、跡形もなく消えること。さらに、恋愛の関係にある人どうしの契りが深く、情愛がこまやかなこと。


【英語】
・as changeable as the weather.(天気のように変わりやすい)
・vanish into thin air.(跡形もなく消える)
【類義語】
・朝雲暮雨(ちょううんぼう)
・巫山の雲雨(ふざんのうんう)
・雲散霧消(うんさんむしょう)
「雲となり雨となる」の故事
「雲となり雨となる」が恋愛の深い結びつきを表すのは、中国・戦国時代末の楚の文人、宋玉の作と伝わる『高唐賦(こうとうのふ)』に基づきます。宋玉は辞賦を得意とした文学者で、『高唐賦』は、後に蕭統(しょうとう)が編んだ『文選(もんぜん)』(6世紀前半・南朝梁)に収められました。
『高唐賦』は、楚の襄王が宋玉と雲夢の台に遊び、高唐の館の上に立ち上る不思議な雲を目にする場面から始まります。王がその雲について尋ねると、宋玉は、昔この地を訪れた先王が、昼寝の夢で一人の女性に出会った話を語ります。
女性は自分を巫山(ふざん)の女と名乗り、王と親しくなりたいと申し出ました。王がその思いを受け入れると、女性は別れ際に、自分は巫山の南に住み、「旦には朝雲と為り、暮れには行雨と為る」と告げました。朝には雲となり、夕暮れには通り雨となって、陽台の下に現れるという意味です。
翌朝、先王が外を見ると、女性の言葉どおりの雲が立っていたため、その地に廟(びょう:神を祭る建物)を建て、「朝雲」と名づけました。この夢の中の出会いから、「朝雲」「暮雨」「雲雨」「巫山の雲雨」などが、恋愛において人どうしが深く結ばれることを表すようになりました。
日本語の「雲となり雨となる」の古い例は、『新勅撰和歌集(しんちょくせんわかしゅう)』(1235年・鎌倉時代、藤原定家撰)にあります。藤原有家の歌に、「くもとなりあめとなるてふなかぞらのゆめにも見えよよるならずとも」とあり、雲や雨となって現れた巫山の神女の故事を踏まえ、恋しい人に、夢の中だけでも姿を見せてほしいと願っています。
『続古今和歌集(しょくこきんわかしゅう)』(1265年・鎌倉時代、藤原為家ほか撰)には、藤原俊成の「くもとなりあめとなりてやたつたひめあきのもみちのいろをそむらむ」という歌があります。ここでは、秋をつかさどる竜田姫(たつたひめ)が雲や雨に姿を変え、紅葉を美しく染めるのだろうかと詠んでおり、恋愛の故事から離れて、「別の姿へ変わる」という意味が前面に出ています。
室町時代の謡曲(ようきょく)『融』(1430年ごろ)には、「月もはや影傾きて明け方の雲となり雨となるこの光陰に誘はれて」とあります。月が傾き、夜から朝へ移る時の流れを雲や雨の変化に重ねており、ここから、物事が時によって変わり、一定しないという意味がはっきりと表れます。
さらに、車屋本の謡曲『松山鏡(まつやまかがみ)』(1539年ごろ)には、「雲となり雨となり、陽台の時とどめ難く」とあります。「陽台」は、『高唐賦』で神女が雲や雨となって現れた場所を指しますが、この場面では、姿をとどめられず、消えていくことを表しています。こうして、雲や雨のように跡形なく消えることや、人が亡くなったあとの姿をいう意味にも用いられるようになりました。
このように、「雲となり雨となる」は、もとは、巫山の神女が朝の雲と夕暮れの雨になるという物語から、深い情愛を表した言葉です。日本では、その映像的な表現がさらに広がり、姿や状態が絶えず変わること、そして跡形なく消えてしまうことも表すようになりました。
「雲となり雨となる」の使い方




「雲となり雨となる」の例文
- 会議の方針は雲となり雨となるように変わり、なかなか結論が定まらなかった。
- 昨日まで有力だった計画が雲となり雨となるように消え、初めから考え直すことになった。
- その武将の態度は雲となり雨となるように変化し、味方でさえ本心をつかめなかった。
- 古い恋の歌では、雲となり雨となるという言葉によって、離れがたい二人の情愛を表している。
- 夢に現れた人影は、夜明けとともに雲となり雨となるように跡形もなく消えた。
- 政情が雲となり雨となる時代には、昨日の約束が今日も守られるとは限らない。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・宋玉『高唐賦』戦国時代末期。
・蕭統編『文選』6世紀前半。
・藤原定家撰『新勅撰和歌集』1235年。
・藤原為家ほか撰『続古今和歌集』1265年。
・『謡曲・融』1430年ごろ。
・『車屋本謡曲・松山鏡』1539年ごろ。























