【ことわざ】
諦めは心の養生
【読み方】
あきらめはこころのようじょう
【意味】
失敗や不運をいつまでも悔やまず、思い切って手放したほうが心のためになるということ。どうにもならないことに執着しすぎない大切さをいう。


【英語】
・For a lost thing care not.(なくしたものは気にするな)
・Let bygones be bygones.(過ぎたことは水に流せ)
・A person must know when to give up.(人は引き際を知るべきだ)
【類義語】
・明日は明日の風が吹く(あしたはあしたのかぜがふく)
・是非に及ばず(ぜひにおよばず)
・負けるが勝ち(まけるがかち)
【対義語】
・為せば成る(なせばなる)
・七転び八起き(ななころびやおき)
・初志貫徹(しょしかんてつ)
「諦めは心の養生」の語源・由来
このことわざは、「諦め」と「心の養生」を結びつけた言い方です。ここでいう「養生」は、もともと健康を保ち、からだをいたわることを指す言葉でした。
そのため、「心の養生」は、心を休ませ、傷ついた気持ちをいたわるという意味になります。失敗や不運を長く抱えこまないことを、心の手当てになぞらえたところに、このことわざのわかりやすさがあります。
「養生」という言葉そのものは古く、平安時代ごろの文献にも出てきます。中世以後も、健康を守ることや、病気の回復につとめることを表す言葉として受けつがれてきました。
江戸時代になると、貝原益軒(かいばらえきけん)の『養生訓(ようじょうくん)』が広く読まれました。1713年(正徳3年・江戸時代中期)に成ったこの本は、心身の健康と長寿を保つための暮らし方を、ふつうの人にもわかるように説いた教訓書です。
こうした流れを考えると、「養生」を体だけでなく心にも広げて考える感覚は、日本の暮らしの中でかなり親しまれていたといえます。だからこそ、あきらめることを「心の養生」と言い表す、このやわらかな言い回しも生まれやすかったのでしょう。
このことわざには、『後漢書』のような一つの有名な故事や、特定のだれかの名言を出典として断定できる背景は見当たりません。むしろ、失敗や不運を長く引きずらないほうがよいという生活の知恵が、短く覚えやすい形にまとまったものと考えるのが自然です。
実際、20世紀の初めには、『諺語大辞典(げんごだいじてん)』ということわざ辞典に、この言葉が載っていました。1910年(明治43年・明治時代後期)刊の辞典として書誌情報が残っているので、このころにはすでにことわざとして通用していたことがうかがえます。
また、1928年(昭和3年・昭和時代前期)刊の『処世の栞』にも、「諦めは心の養生」という形が書かれています。昭和の初めには、人生の心得や日々の身の処し方を説く本の中でも、十分に通じる言葉になっていたのでしょう。
ここで大切なのは、「諦める」がただの弱さではないという点です。このことわざでは、かなわない現実を受け入れて気持ちを整え、次に進むための区切りとして「あきらめ」が用いられています。
そのため、受験の結果、なくし物、終わってしまった機会、人の気持ちのように、もう元に戻せない事柄に向き合う場面でよく合います。反対に、まだやり直せるのに最初から手を引く場面には、本来あまり向かない言葉です。
「心の養生」という言い方には、相手を強くしかる感じがあまりありません。つらいことのあとで自分を守り、静かに気持ちを立て直すための知恵として、今まで受けつがれてきたことわざです。
「諦めは心の養生」の使い方




「諦めは心の養生」の例文
- 第一志望の結果が出たあと、行けない学校のことをいつまでも悔やまず、諦めは心の養生と気持ちを切りかえた。
- 台風で中止になった町の花火大会は戻らず、諦めは心の養生と思って家族で夕食を楽しんだ。
- なくした鍵が一日探しても出てこないので、諦めは心の養生と考えて鍵の交換を頼んだ。
- 友人との行き違いを何度も思い返して眠れなくなり、諦めは心の養生という言葉でようやく考えを止めた。
- 契約が決まらなかった案件を引きずっていては次の仕事に向かえず、諦めは心の養生として企画を立て直した。
- 抽選に外れたことを何週間も嘆くより、諦めは心の養生と受けとめて別の楽しみを探すほうがよい。























