【故事成語】
驥尾に付す
【読み方】
きびにふす
【意味】
すぐれた人に従って行動すれば、自分の力だけでは難しいことも成し遂げられるというたとえ。人と行動を共にするとき、自分をへりくだっていう言葉。


【英語】
・ride on someone’s coattails.(他人の成功に頼って自分も成功する)
【類義語】
・驥尾に付く(きびにつく)
・蒼蠅驥尾に付して千里を致す(そうようきびにふしてせんりをいたす)
【対義語】
・鶏口となるも牛後となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)
「驥尾に付す」の故事
「驥尾に付す」は、中国の歴史書『史記(しき)』(前漢、前91年ごろ完成、司馬遷著)の「伯夷列伝」に出てくる表現にもとづく故事成語です。『史記』は、黄帝から前漢の武帝までの歴史を、本紀・表・書・世家・列伝から成る紀伝体で記した全百三十巻の史書です。
「伯夷列伝」は、伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)という二人の人物を中心に、人の節義と名声について考える列伝です。伯夷と叔斉は、周の武王が殷を討つことをいさめ、のちに周の粟を食べることを恥じて首陽山に隠れ、餓死したと記されています。
その後の論の部分で、司馬遷は、善人が必ず幸せになるとは限らない現実を見つめながら、人の名が後世に伝わるしくみを述べています。その中で、伯夷・叔斉は賢人であっても、孔子によって名がいっそう明らかになり、顔淵(がんえん)も孔子に従ったことで、行いがいっそう世に知られた、と書いています。
原文には、「顏淵雖篤學、附驥尾而行益顯」とあります。これは、顔淵はたいへん学問に励む人であったが、名馬の尾に付くように孔子に従ったことで、その行いがますます明らかになった、という意味です。
顔淵は、孔子の弟子である顔回のことです。この故事では、顔淵自身の努力を軽んじているのではなく、すぐれた師に従うことによって、その努力や行いが世に知られるようになった点が大切です。
「驥」は、一日に千里を走るという名馬を表します。「驥尾」は、もとはすぐれた馬の尾を指し、そこから、すぐれた人の後ろに従うことのたとえとして使われるようになりました。
この表現は、のちに「青蠅が名馬の尾につかまれば、一日で千里の遠くまで行ける」というたとえと結びついて説明されました。力の弱い小さなものでも、すぐれたものに付けば遠くまで行けるという見立てが、「驥尾に付す」の意味を分かりやすくしています。
この青蠅のたとえは、『史記索隠(しきさくいん)』(唐、司馬貞撰)にも関わる説明として伝わっています。『史記索隠』は『史記』の注釈書で、三十巻から成る唐代の注釈です。
日本での古い用例としては、『明衡往来(めいごうおうらい)』(11世紀中頃成立、平安時代後期、藤原明衡著と伝えられる)に「付驥尾」の形が出てきます。『明衡往来』は手紙の文例集で、典拠の明らかな故事成語を多く用いた、現存最古級の往来物として知られます。
また、青蠅と驥尾を結びつけた形は、『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』(1260年、鎌倉時代、日蓮撰)にも用例が伝わっています。ここでは、青蠅が驥尾に付くという比喩が、弱いものが強くすぐれたものに従って大きな働きに及ぶことを示しています。
このように、「驥尾に付す」は、古くは『史記』の顔淵と孔子の関係をめぐる一節から生まれ、注釈や日本の漢文表現の中で広く受け継がれました。現在では、すぐれた人に従って行動し、自分だけでは難しい成果に達することを、へりくだっていう言葉として用いられます。
「驥尾に付す」の使い方




「驥尾に付す」の例文
- 若い研究者は、名高い先生の驥尾に付す形で大きな調査に加わった。
- 経験豊かな先輩の驥尾に付すことで、初めての仕事も最後までやり遂げられた。
- 彼は自分の功績を誇らず、恩師の驥尾に付すことができただけだと語った。
- 小さな会社でも、大企業の技術協力を得て驥尾に付すなら、新しい製品を世に出せることがある。
- 合唱部の一年生たちは、上級生の驥尾に付すように練習し、難しい曲を歌い切った。
- この企画が成功したのは、優秀な仲間の驥尾に付す機会を得たからにほかならない。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・白川静『普及版 字通』平凡社、2014年。
・司馬遷『史記』前漢、前91年ごろ。
・司馬貞『史記索隠』唐。
・藤原明衡著と伝えられる『明衡往来』11世紀中頃。
・日蓮『立正安国論』1260年。
・Webster’s New World College Dictionary, 5th Digital Edition, HarperCollins Publishers, 2025.























