「ま行」の小学校で習うことわざ
蒔かぬ種は生えぬ(まかぬたねははえぬ)
何もしなければ良い結果は得られない。努力をおしんではいけないという例え。
負けるが勝ち(まけるがかち)
目先の勝ち負けにこだわらないで相手に勝ちを譲る方が長い目で見たときかえって得をするということ。
待てば海路の日和あり(まてばかいろのひよりあり)
物事がうまくいかない時はあせらず時期を待っていれば、そのうちきっと良い時がくるものだという例え。
丸い卵も切りようで四角(まるいたまごもきりようでしかく)
同じことでも、話し方、やり方によって受け取られかたが違ってしまいます。ものごとが穏やかで円満にいくこともあるし、逆に角が立つこともあるということ。
ミイラ取りがミイラになる(みいらとりがみいらになる)
人を連れ戻しに行った者が、連れ戻せなくてその人自身も帰ってこないことのたとえ。人を説得にようとした者が、逆に相手に説得されてしまうことのたとえ。
身から出た錆(みからでたさび)
自分のした悪い行いのために、自分が苦しんだり災いを受けたりすることの例え。
見猿聞か猿言わ猿(みざるきかざるいわざる)
人の欠点や短所、過ちや、自分にとって都合の悪いことは、見ない、聞かない、言わないほうがいいというたとえ。
水心あれば魚心(みずごころあればうおごころ)
相手が好きになってくれたら、こちらもそれに応ずる準備があるということ。
三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで)
子供のころの性質は年をとっても変わらないものだということ。
実るほど頭の下がる稲穂かな(みのるほどあたまのさがるいなほかな)
心が豊かで徳のある人ほど、威張らず素直にほかに学ぶ気持ちがあるという例え。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(みをすててこそうかぶせもあれ)
自分の命を捨てる覚悟で、思い切って飛び込むことではじめて、活路を見出し事を成し遂げることができるということ。
昔取った杵柄(むかしとったきねづか)
かつてしっかりと鍛えて身につけた技量や腕前のこと。また、それが衰えないこと。
無用の長物(むようのちょうぶつ)
あっても邪魔になるだけで何の役にも立たないもの。
無理が通れば道理引っ込む(むりがとおればどうりひっこむ)
正しくない、間違ったことが平気で行われるような世の中では正しいことが行われなくなる。
目糞鼻糞を笑う(めくそはなくそをわらう)
自分の欠点には気づかないで、他人の欠点をあざ笑うことのたとえ。あざ笑うものも、笑われるものも大した違いはないということ。
目の上の瘤(めのうえのこぶ)
自分より力があって思い通りに物事をするのに何かと邪魔になる人のこと。
目は口ほどに物を言う(めはくちほどにものをいう)
情をこめた目つきは、口で話す以上に強く相手の心を捉える。
餅は餅屋(もちはもちや)
物事はそれぞれの専門家があるということ。
元の木阿弥(もとのもくあみ)
しばらくの間良くなっていたものが、また悪い様子に戻ること。
蛻の殻(もぬけのから)
①セミや蛇の抜け殻
②人の抜け出したあとの寝床や家などの例え。
③魂が抜け去った体。
物言えば唇寒し秋の風(ものいえばくちびるさむしあきのかぜ)
人の欠点、短所などの悪口やよけいなことを言ったりすると思いがけない災難を招くことになるから慎(つつし)んだほうがよいということ。
物も言いようで角が立つ(ものもいいようでかどがたつ)
同じ話をするのでも、穏やかに話さないと相手の気分を悪くすることがあるから注意しなさいという教訓。
桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)
何事もよい結果が出るまでには、それなりの時間がかかるというたとえ。
門前の小僧習わぬ経を読む(もんぜんのこぞうならわぬきょうをよむ)
特別に教えてもらわなくても、いつも聞いていたり見たりしていることは、自然に覚えてしまうものだという例え。