【慣用句】
憂き身を窶す
【読み方】
うきみをやつす
【意味】
身がやせ細るほど、一つのことに熱中すること。また、あまり価値のないことや非生産的なことに夢中になること。


【英語】
・devote oneself to(身を入れて専念する)
・give oneself over to(すっかり身をゆだねる)
【類義語】
・熱を上げる(ねつをあげる)
・血道を上げる(ちみちをあげる)
【対義語】
・現に返る(うつつにかえる)
「憂き身を窶す」の語源・由来
「憂き身を窶す」は、「憂き身」と「窶す」という二つの言葉が結びついてできた言い方です。「憂き」は、形容詞「憂し」の連体形にあたり、心を悩ませることや、つらいことを表します。
「身」は、その人自身の体や身の上を指します。そのため「憂き身」は、つらい境遇にある身の上、または悩みを抱えたわが身という意味合いをもつ言葉として受け取られます。
「窶す」は、古くは姿をみすぼらしくすること、目立たないように姿を変えることを表しました。古い用例として、『東大寺諷誦文平安初期点』(830年ごろ・平安時代前期)には、「形を費(ヤツシ)」という形があり、姿を変える意味で使われています。
この「窶す」には、のちに、あることに打ち込んで、やせるほど思い悩み、心身を砕くという意味も加わりました。『桜井基佐集』(1509年ごろ・室町時代後期)には、「叶ぬ恋に身をぞやつせる」とあり、かなわない恋のために身も心もすり減らす姿が表されています。
この流れから、「憂き身を窶す」は、つらい思いや強い思い入れによって、身がやつれるほど心を奪われる状態を表すようになりました。もとの意味には、ただ楽しんで熱中するだけでなく、苦労や悩みをいとわずに身を投げ入れるような重さがあります。
現在の形に近い古い用例は、浄瑠璃『丹波与作待夜の小室節』(1707年ごろ・江戸時代前期)に出てきます。そこには「うき身やつすは親の為、其のかねをやる物かと」とあり、労苦をいやがらず、一所懸命に打ち込む意味で使われています。
ここでの「うき身やつす」は、ただ気晴らしに夢中になる姿ではありません。親のために苦労を重ねるという文脈に出ており、身を削るほど力を尽くす意味が前面に出ています。
一方で、江戸時代後期には、無益なことに夢中になる意味もはっきりしてきます。談義本『世間万病回春』(1771年・江戸時代中期)には「詩文章にうき身をやつして」とあり、あることにのめり込む姿を表しています。
この意味では、「憂き身」ではなく「浮身」と書くことが多いとされます。「浮き」は、心が浮かれる、軽く流れるという印象を帯びやすく、賭け事や道楽など、あまり生産的でないものに夢中になる場合の表記として広がりました。
人情本『春色籬の梅』(1838〜1840年ごろ・江戸時代後期)には、「まことに浮身(ウキミ)をやつして惚れて居るじゃアなひか」とあります。ここでは「浮身」と書き、恋に深くのめり込んでいる様子を表しています。
このように、古い段階では、つらい身の上や恋の苦しみによって身をやつす意味が土台にあります。そこから、恋や趣味、学問、道楽などに心を奪われ、身が細るほど熱中する意味へ広がりました。
現在の「憂き身を窶す」は、真剣な恋や努力に身を入れる場合にも、無益なことにのめり込む場合にも使われます。ただし、明るく健やかな努力というより、身なりや生活を犠牲にするほど一つのことに心を奪われる、という濃い意味をもつ慣用句です。
「憂き身を窶す」の使い方




「憂き身を窶す」の例文
- 彼は若いころ、かなわぬ恋に憂き身を窶す日々を送った。
- 兄は賭け事に憂き身を窶すようになり、仕事への気力まで失ってしまった。
- 作家は一作の完成に憂き身を窶すほど打ち込み、寝食を忘れて原稿に向かった。
- 彼女は推しの舞台に憂き身を窶すあまり、貯金をほとんど使い果たした。
- 研究に憂き身を窶す姿は尊いが、健康を損なっては長く続かない。
- 友人は恋に憂き身を窶すばかりで、周囲の助言に耳を貸さなくなった。
主な参考文献
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・『丹波与作待夜の小室節』1707年ごろ。
・『桜井基佐集』1509年ごろ。
・『世間万病回春』1771年。
・『春色籬の梅』1838〜1840年ごろ。
・Merriam-Webster編『Merriam-Webster.com Dictionary』Merriam-Webster。
・Cambridge University Press編『Cambridge Dictionary』Cambridge University Press。























