【ことわざ】
叶わぬ時の神頼み
【読み方】
かなわぬときのかみだのみ
【意味】
ふだんは神仏を頼まない人が、思いどおりにならず困ったときだけ、神仏に祈って助けを求めること。転じて、日ごろ疎遠な人に、苦しいときだけ助けを求めること。


【英語】
・There are no atheists in foxholes.(極度の危険や恐れの中では、神を信じない人でも神にすがるものだ)
【類義語】
・苦しい時の神頼み(くるしいときのかみだのみ)
・切ない時の神頼み(せつないときのかみだのみ)
・叶ぬ時の神叩き(かなわぬときのかみだたき)
「叶わぬ時の神頼み」の語源・由来
「叶わぬ時の神頼み」は、思いどおりにならないときだけ神仏に助けを求める、人間の弱さを表したことわざです。「叶わぬ」は、望みや考えが思うようにならないことを表し、「神頼み」は、神に祈って加護や助けを願うことを指します。
このことわざは、中国古典の人物や出来事に由来する故事ではなく、日本語の生活の中で育った言い回しです。ふだんは信仰に熱心でない人でも、本当に困ったときには神仏にすがるという、人の心の動きを短く言い表しています。
もとの形としてよく知られるのは、「苦しい時の神頼み」です。この言い方は、苦しくて自分の力ではどうにもならなくなったとき、人が神仏に頼り、何とか救いを求めようとすることを表します。
このことわざには、少し皮肉な目も含まれています。日ごろは神仏を大切にしていないのに、困った時だけ助けを求める身勝手さを指しながら、同時に、人は本当に追いつめられるとそうしてしまうものだという見方も含んでいます。
古くは、「せつない時の神頼み」という形で広く使われました。ここでの「せつない」は、現在の「胸が苦しいほどつらい」という意味だけでなく、困って身動きが取れない、苦境にあるという意味に近い働きをしています。
江戸時代前期の咄本『初音草噺大鑑』(1698年刊)には、「せつなき時の神だのみ」という形が出てきます。息子が動転し、清水の観音に祈る場面で用いられており、困った時に神仏へすがる行動を、具体的な物語の中で表しています。
その後、「苦しい時」は、「せつない時」のほか、「かなわぬ時」「ずつ(術)ない時」などとも言われました。言い方は少し違っても、どれも自力ではどうにもならない場面で、神仏の力を求めるという意味につながっています。
「叶わぬ時」に近い古い形として、「叶ぬ時の神叩き」もあります。『松の落葉』(1710年)の「万屋助六道行」には、「かなはぬ時の神たたき」という用例があり、思いどおりにならない恋の苦しさの中で、神の力を頼もうとする心が表れています。
「神叩き」は、「神頼み」と同じ意味で使われることがあります。このため、「叶ぬ時の神叩き」と「叶わぬ時の神頼み」は、表記や言い方に違いがあっても、困ったときだけ神にすがるという意味を共有しています。
現在では、「苦しい時の神頼み」の形が多く使われますが、「叶わぬ時の神頼み」も、同じ考えを表す言い方として残っています。特に、努力しても状況が動かず、最後には神仏や他人の助けに頼るしかないような場面を表すのに向いています。
このことわざは、祈ることそのものを笑う言葉ではありません。日ごろの心がけを忘れて、困ったときだけ都合よく助けを求める態度に、やわらかな皮肉を向ける言葉です。
「叶わぬ時の神頼み」の使い方




「叶わぬ時の神頼み」の例文
- 試験前日に何も勉強していないのに合格を祈るのは、叶わぬ時の神頼みというものだ。
- 彼は普段は神社に行かないが、入院した家族の回復を願って叶わぬ時の神頼みをした。
- 仕事の締め切りに追われ、最後は叶わぬ時の神頼みで上司の助けを求めた。
- 準備不足のまま大会に出て勝利を祈っても、叶わぬ時の神頼みにすぎない。
- 祖母は、困った時だけ祈るのは叶わぬ時の神頼みだから、日ごろの感謝を忘れるなと言った。
- 交渉がうまく進まず、担当者は叶わぬ時の神頼みで古い知人に相談した。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『デジタル大辞泉』小学館。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・『初音草噺大鑑』1698年。
・『松の落葉』1710年。























