【故事成語】
冠古けれども沓に履かず
【読み方】
かんむりふるけれどもくつにはかず
【意味】
貴賤・上下の別や、物の本来の役割を乱してはならないことのたとえ。また、よい物は古びたり傷んだりしても、なお値打ちを失わないこと。


【英語】
・A place for everything, and everything in its place.(物にはそれぞれふさわしい場所がある)
【類義語】
・沓新しといえども冠となさず(くつあたらしといえどもかんむりとなさず)
・腐っても鯛(くさってもたい)
【対義語】
・冠履顛倒(かんりてんとう)
「冠古けれども沓に履かず」の故事
「冠古けれども沓に履かず」は、中国の古典『韓非子(かんぴし)』に由来する言い方です。『韓非子』は、戦国時代末の思想家である韓非に関わる法家思想の書物で、政治や法、君臣の関係を、たとえを用いて説く文章を多く含みます。
もとの形に近い表現は、『韓非子』「外儲説左下」に出てきます。そこでは、冠はたとえ安くても頭にのせ、足にはくものはたとえ高価でも足にはく、という考え方によって、上下の位置や役割を入れ替えてはならないことを説いています。
「外儲説左下」には、趙簡子が美しすぎる車の敷物を見て語る場面があります。趙簡子は、冠は価値が低くても必ず頭にのせ、足にはくものは価値が高くても足にはくものだと述べ、下にあるものを過度に美しくして上を損なうことは、道理のもとを妨げると考えます。
同じ篇には、費仲が殷の紂王に、西伯昌を討つよう勧める場面もあります。費仲は、冠は破れていても頭にのせ、履は五色に美しく飾られていても地を踏むものだと述べ、君臣の上下を説くたとえとして用いています。
このたとえは、物の値段や新しさだけを比べるものではありません。冠は頭にあり、履は足にあるという、置かれる場所と役割の違いを通して、立場や秩序を混同しないことを表しています。
前漢の司馬遷による『史記(しき)』「儒林列伝」にも、よく似た表現が出てきます。黄生が「冠は古びていても首に加え、履は新しくても足に関わる」と述べ、上下の分を説く場面で使っています。
日本語の「冠古けれども沓に履かず」は、こうした中国古典の「冠」と「履」の対比を受けて、冠が古くなっても沓として足にはかない、という形で定着した表現です。「冠旧けれど沓に履かず」とも表され、「沓新しけれど冠にあげず」と対になる言い方もあります。
日本の古い用例としては、江戸時代中期の浄瑠璃『椀久末松山(わんきゅうすえのまつやま)』(1709〜1710年ごろ、紀海音著)に近い形が出てきます。この作品では、「冠古けれど沓に穿かず、大尽は腐っても太鼓は持たぬ」と続き、身分や立場を落としても、なお昔の値打ちや誇りを失わないという文脈で用いられています。
そのため、この故事成語には二つの意味が重なっています。一つは、上下や役割の違いを乱してはならないという意味、もう一つは、もとがすぐれたものは古びてもなお価値を保つという意味です。
現在の使い方では、昔の身分秩序をそのまま認める言葉としてではなく、物事にはふさわしい役割や扱い方があること、また、古くなっても本来の値打ちが残ることを表す言葉として理解するとよいです。
「冠古けれども沓に履かず」の使い方




「冠古けれども沓に履かず」の例文
- 古い茶碗でも名人が作ったものなら、冠古けれども沓に履かずで、粗末に扱うべきではない。
- 引退した名選手を軽く見るのは、冠古けれども沓に履かずという言葉を忘れた態度だ。
- 祖母の着物は少し色あせているが、冠古けれども沓に履かずで、晴れの日にふさわしい品格がある。
- 長く使われた道具にも職人の技が残っており、冠古けれども沓に履かずという見方が当てはまる。
- 役割の違う人をむりに入れ替えると混乱するので、冠古けれども沓に履かずを心に留めたい。
- 古い蔵書を不用な紙のように扱うのは、冠古けれども沓に履かずに反する考え方だ。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・韓非『韓非子』。
・司馬遷『史記』前91年ごろ。
・紀海音『椀久末松山』1709〜1710年ごろ。























