【ことわざ】
秋の扇
【読み方】
あきのおうぎ
【意味】
男の愛を失い、顧みられなくなった女のたとえ。夏には大切にされた扇も、秋になれば用がなくなることになぞらえた言い方。


【英語】
・a forsaken sweetheart(見捨てられた恋人)
・be cast aside by her lover(恋人に見捨てられる)
・a discarded lover(捨てられた恋人)
【類義語】
・班女が扇(はんじょがおうぎ)
・団雪の扇(だんせつのおうぎ)
・秋扇(しゅうせん)
【対義語】
・比翼連理(ひよくれんり)
・偕老同穴(かいろうどうけつ)
・鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)
「秋の扇」の語源・由来
もともと「秋の扇」は、字のとおり、秋になって使わなくなった扇そのものを指す言葉である。暑い季節には欠かせない道具でも、涼しくなると急に出番を失うところに、この言葉の土台がある。
そこから転じて、前には愛されたのに、のちには男の愛を失って顧みられなくなった女をたとえる言葉になった。いちばん大事なのは、「最初は重んじられていたのに、あとで捨て置かれる」という移り変わりである。
このたとえの背景として広く知られているのが、前漢の成帝に仕えた班婕妤(はんしょうよ)の話である。班婕妤は才知と詩歌で知られた宮中の女性で、のちに帝の心が趙飛燕(ちょうひえん)姉妹へ移ったあと、太后に仕えたと伝えられる。
その由来として結びつけられてきたのが、『文選(もんぜん)』に収められた「怨歌行(えんかこう)」である。この詩では、白く美しい絹を裁って丸い扇を作り、それが君のそばで夏のあいだ役立つ姿がうたわれている。
けれども、詩の後半では、秋が来て涼しい風が暑さを奪えば、その扇は箱の中へしまわれ、恩情も途中で絶えてしまう、という流れになる。つまり、扇が不要になる季節の移り変わりに、愛情の移ろいを重ねているのである。
このため「秋の扇」は、ただ古くなった道具の話ではなく、「かつては愛され、そばに置かれていたのに、あとでは見捨てられる身」の象徴として受け取られるようになった。中国の古典の中でも、秋の扇は見捨てられた恋人を表すしるしとして扱われてきた。
このイメージは、日本でもかなり早い時代から受けとめられていた。たとえば、814年(弘仁5年・平安時代前期)に成立した『凌雲集(りょううんしゅう)』には、すでに「秋扇」の語が見え、班姫の扇という連想が漢詩の世界で用いられている。
また、10世紀後半(平安時代中期)ごろの『古今和歌六帖(こきんわかろくじょう)』には、班婕妤の故事を踏まえて扇を男女の仲の不吉さと結びつける発想があらわれている。さらに、1240年ごろ(仁治元年ごろ・鎌倉時代中期)の『拾遺愚草員外(しゅういぐそういんがい)』には「秋の扇」が季節の扇として現れ、1435年ごろ(永享7年ごろ・室町時代中期)の謡曲『班女(はんじょ)』では、見捨てられた女のたとえとしてはっきり用いられている。
このことから、日本では中国由来の故事を受けとめながら、「秋扇」「班女が扇」「団雪の扇」など、近い言い方がいくつも育っていったことが分かる。どれも共通しているのは、愛情を失って忘れられる女の悲しみを、季節はずれの扇にたとえる点である。
ただし、ここで一つ気をつけたいこともある。「怨歌行」は班婕妤の作としてよく知られているが、後に作られたものを班婕妤に仮託したと考えられることもある。したがって、作者を強く言い切るよりも、この詩と班婕妤の物語が結びついて「秋の扇」というたとえが広まった、と理解するのが自然である。
そう考えると、「秋の扇」は、季節が変われば役目を失う扇の姿と、心変わりによって顧みられなくなる女の身の上とを重ねた、古典的で哀感の深いことわざだといえる。短い言葉だが、その奥には中国の宮廷の話と、日本文学の長い受けとめの歴史が重なっている。
「秋の扇」の使い方




「秋の扇」の例文
- 新しい妃が迎えられると、昨日まで寵愛を受けた人が秋の扇となることもあった。
- 長く尽くした末に急によそよそしく扱われ、彼女は自分が秋の扇になったようだと嘆いた。
- その物語は、愛を失った姫君の境遇を秋の扇という言葉で表している。
- 権力者の心が移れば、華やかな席にいた女性もたちまち秋の扇になる。
- 古い恋愛詩には、顧みられなくなった身を秋の扇になぞらえる例が少なくない。
- 謡曲の筋立てでも、見捨てられた女の悲しみを秋の扇に重ねることで、哀しさが深く伝わってくる。























