【故事成語】
群犬怪しむ所に吠ゆ
【読み方】
ぐんけんあやしむところにほゆ
【意味】
集まった俗人たちが、自分たちとは異なる賢者の言動を怪しく思い、非難することのたとえ。


【類義語】
・邑犬群吠(ゆうけんぐんばい)
「群犬怪しむ所に吠ゆ」の故事
「群犬怪しむ所に吠ゆ」は、中国の古典『楚辞(そじ)』に収められた「九章」の一編、「懐沙(かいさ)」に由来します。『楚辞』は、戦国時代の楚で生まれた屈原の作品と、その作風にならった後世の作品を集めた書物です。「懐沙」は、伝統的に屈原の作とされ、理解者のいない世の中で、自らの正しさを守ろうとする苦しみを述べています。
この一節に至るまで、「懐沙」では、正しい価値が逆さまになった世の中が、いくつものたとえによって描かれています。黒い文字が暗い場所にあるため明らかでないと決めつけられ、優れた目をもつ者が、目の見えない者から何も見えていないと思われます。さらに、白を黒とし、上を下とし、鳳凰(ほうおう)が籠に入れられる一方で、鶏や鴨が自由に舞うと述べています。美しい玉とただの石まで一緒にされ、同じ基準で量られてしまいます。
これらは、賢い者と愚かな者、正しいものと誤ったものを見分けられない社会を表したものです。本当に価値のある人物が認められず、かえって力のない者や道理をわきまえない者が得意になっている世の乱れを、屈原は嘆いています。
その流れの中で、「邑犬之羣吠兮、吠所怪也」とあります。「邑犬(ゆうけん)」は村里の犬、「群吠」は群がって吠えることです。村の犬たちは、普段から見慣れている者には吠えませんが、見慣れない者が現れると、それを怪しんで一斉に吠え立てます。
しかし、ここで描かれているのは、犬の習性だけではありません。その直後には、優れた人物を認めず、傑出した者を疑うのは、凡庸な者の常の姿であるという趣旨の言葉が続きます。見識の浅い人々が、自分たちとは異なる考えや行動を理解できず、賢者を怪しい者として非難する様子を、見知らぬ人に吠える村の犬に重ねたのです。
この一節の少し前には、「懐瑾握瑜兮」とあります。「瑾(きん)」と「瑜(ゆ)」は、どちらも美しい玉を表します。美しい玉を胸に抱き、手に握るという表現によって、立派な徳や才能を備えていることを示しています。それほどの価値をもちながら、世の人々が善悪を見分けないため、才能を示す場さえないという嘆きが、この犬のたとえへとつながっています。
後漢の王逸が114〜119年ごろにまとめた『楚辞章句(そじしょうく)』では、村里の犬が群がって吠えるのは、普通とは異なる者を怪しんで騒ぐためであり、俗人が集まって賢者や知恵のある者をそしるのも、その行いや考え方が自分たちと異なるためだと説いています。この解釈によって、原文の犬の姿と、人間社会への批判との結び付きが明確になっています。
前漢の司馬遷が著した『史記(しき)』「屈原賈生列伝(くつげんかせいれつでん)」にも、「懐沙」のこの一節が、字句にわずかな違いのある形で収められています。『史記』は「懐沙」を掲げたあと、屈原が石を抱いて汨羅(べきら)に身を投じたと記しています。そのため、この表現には、世間の理解を得られなくても信念を曲げなかった人物が、凡庸な人々から非難されたという重い背景も重なっています。
日本語では、原文の「邑犬が群がって吠えるのは、怪しむものに吠えるからである」というたとえを、「群犬怪しむ所に吠ゆ」という訓読調の形にまとめて用います。現在は、大勢の人々が、自分たちと異なるというだけで、優れた人物や新しい考えを理解しようとせず、そろってけなすことを戒める表現として定着しています。
「群犬怪しむ所に吠ゆ」の使い方




「群犬怪しむ所に吠ゆ」の例文
- 新しい観察方法を提案した生徒を、理由も聞かず変人扱いするのは、群犬怪しむ所に吠ゆというものだ。
- 若い研究者の優れた仮説が、従来と異なるというだけで笑われた様子は、群犬怪しむ所に吠ゆを思わせた。
- 仕事を効率よくする提案を、古くからの方法と違うという理由だけで退ける態度は、群犬怪しむ所に吠ゆに当たる。
- 安全性を高める斬新な設計が住民から頭ごなしに非難され、群犬怪しむ所に吠ゆのような騒ぎとなった。
- 世間に理解されなかった画家の作品を大勢が寄ってたかってけなしたのは、まさに群犬怪しむ所に吠ゆだった。
- 専門家の説明をよく読まず、見慣れない意見だからと一斉に攻撃する姿には、群犬怪しむ所に吠ゆの戒めが当てはまる。
主な参考文献
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・三省堂編修所編『新明解故事ことわざ辞典 第二版』三省堂、2016年。
・『楚辞』「九章・懐沙」。
・王逸『楚辞章句』後漢、114〜119年ごろ。
・洪興祖『楚辞補注』南宋。
・司馬遷『史記』前漢。























