【故事成語】
網、呑舟の魚を漏らす
【読み方】
あみ、どんしゅうのうおをもらす
【意味】
法や規則の網が粗いために、重大な罪を犯した者や大きな悪を取り逃がしてしまうことのたとえ。


【英語】
・Laws are like cobwebs, which may catch small flies, but let wasps and hornets break through.(法律は小さな者を捕らえても、大きな者を逃すことがある)
【類義語】
・大魚は網を破る(たいぎょはあみをやぶる)
【対義語】
・天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)
・天罰覿面(てんばつてきめん)
「網、呑舟の魚を漏らす」の故事
この故事成語の土台には、「網」と「呑舟の魚」という二つのたとえがあります。「網」は、魚を捕らえる道具であると同時に、取り締まりや法の仕組みを表す比喩にもなります。「呑舟の魚」は、舟を丸のみにするほどの大魚という意味から、善悪を問わず大人物・大物を表す言葉になりました。
「呑舟の魚」という言い方は、『荘子』(中国、戦国時代の思想書、荘周とその後学の著)にも出てきます。雑篇「庚桑楚」には、舟をのむほどの大魚でも、水を失えば蟻に苦しめられる、という趣旨の言葉があります。ここでは、大きな存在であっても、ふさわしい場を失えば小さなものにも苦しめられる、というたとえとして使われています。
「網、呑舟の魚を漏らす」の直接のもとになった形は、『史記』(前漢、司馬遷撰)の「酷吏列伝」に出てくる「網漏於吞舟之魚」です。『史記』は黄帝から前漢の武帝までを扱う全百三十巻の歴史書で、「酷吏」は、人民を苦しめる無慈悲な官吏を指す言葉です。
「酷吏列伝」の冒頭では、司馬遷が法令と政治の関係を述べています。法令は政治を行う道具ではあるけれど、世の中をよくする根本そのものではない、という考えが示されます。その流れの中で、秦の厳しすぎる政治と、漢が興ったあとの簡素でゆるやかな政治とが対比されています。
その文章では、漢が興ると、角ばったものを丸くし、彫り飾ったものを素朴に戻した、と表されます。続いて「網漏於吞舟之魚」とあり、網が舟をのむほどの大魚まで漏らすほどであっても、役人の治め方はよく、悪事にまで至らず、民は安らかであった、という意味の文脈で述べられています。
この原文では、単に「悪人を逃して困った」というだけではありません。きびしすぎる法で人々を押さえつけるよりも、政治のあり方そのものが穏やかで整っていれば、世の中はむやみに乱れない、という大きな考えの中に置かれた表現です。つまり、もとの文脈では「網が粗い」ことにも、厳罰一辺倒ではない政治の姿が重ねられています。
しかし日本語の故事成語としては、そこから「網が粗いため、大魚までも逃してしまう」という部分が独立して受け取られました。そして、法や規則が大まかであるために、大罪人や大きな悪を取り逃がすことを嘆く言い方として定着しました。
表記については、古い漢籍の形では「吞」が用いられ、日本語の見出しでは「呑」も広く用いられます。「吞」は「のむ」「丸のみにする」の意味をもち、「呑」はその異体字として示されます。そのため、「吞舟」と「呑舟」は、ここでは同じ意味の言葉として扱われます。
日本語では、「呑舟の魚」そのものも、室町時代の『史記抄』(1477年成立)に「呑舟の魚は大魚ぞ」という形で出てきます。このことからも、舟をのむほどの大魚を「大物」のたとえとして理解する言い方が、漢籍の学習を通じて日本でも受け止められていたことが分かります。
現在の「網、呑舟の魚を漏らす」は、単に「失敗した」「取り逃がした」という軽い意味では使いません。小さなことばかりが問題にされ、いちばん重大な悪や責任の大きい者が逃れてしまう、という不公平さを表すときに用いる故事成語です。
「網、呑舟の魚を漏らす」の使い方




「網、呑舟の魚を漏らす」の例文
- 監査が甘かったため、現場の小さなミスだけが処分され、黒幕は逃れた。まさに網、呑舟の魚を漏らす結果となった。
- その制度では軽い違反ばかりが取り締まられ、重大な不正には手が届かず、網、呑舟の魚を漏らすおそれがある。
- 町内の規則を直さなければ、責任の小さい人だけが注意され、網、呑舟の魚を漏らすことになりかねない。
- 会社の調査は枝葉の問題に終始し、巨額の不正を見逃したため、網、呑舟の魚を漏らすと批判された。
- 犯罪組織の末端だけを捕まえて首謀者を逃せば、網、呑舟の魚を漏らすというそしりを免れない。
- 不公平な取締りを続ければ、小さな違反者だけが罰を受け、網、呑舟の魚を漏らす社会になってしまう。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・小川環樹・西田太一郎・赤塚忠・阿辻哲次・釜谷武志・木津祐子編『角川新字源 改訂新版』KADOKAWA、2017年。
・集英社辞典編集部編『会話で使えることわざ辞典』集英社、1989年。
・司馬遷『史記』前漢。
・『荘子』成立年代未詳。
・Jonathan Swift, “A Tritical Essay Upon the Faculties of the Mind,” 1708.























