【ことわざ】
陰では殿の事も言う
【読み方】
かげではとののこともいう
【意味】
どれほど身分や地位の高い人でも、本人のいない所では悪口や批判を言われるものだということ。誰も陰口を完全には避けられないのだから、いちいち気にしすぎる必要はないという教え。


【類義語】
・陰では王様の事も言う(かげではおうさまのこともいう)
・人の口に戸は立てられぬ(ひとのくちにとはたてられぬ)
「陰では殿の事も言う」の語源・由来
テキ「陰では殿の事も言う」は、人から敬われる殿であっても、本人のいない所では悪口を言われるという、人間社会のありさまをたとえにしたことわざです。どれほど立派な人でも、すべての人からよく思われることは難しいという教えを表します。
ここでの「陰」は、日光の当たらない場所ではなく、人目につかない所や、表に現れない所を指します。したがって、「陰で言う」とは、本人のいない所で、その人について話すことを表します。
「殿」は、もとは貴人の住む大きな建物を指し、そこから貴人や主君を敬って呼ぶ言葉になりました。中世以降には、主君を指す言い方として用いられ、江戸時代の「殿様」は、大名や旗本など身分の高い武士への敬称でした。
殿は、家臣や領民から表立って悪口を言われにくいほど、強い権威をもつ人物です。その殿でさえ、姿が見えなくなれば何かを言われるという極端な例を挙げることで、普通の人が陰口を完全に避けるのは、なおさら難しいと表しています。
このことわざが伝えるのは、陰で言われた批判がすべて正しいということではありません。また、人の悪口を言ってよいという意味でもなく、他人の言葉を一つ残らず気にしていては心が休まらないという、人づきあいの知恵を示しています。
同じ形の言い方に、「陰では王様の事も言う」があります。「殿」を「王様」に替えても、最も敬われる立場の人さえ陰口を言われるという、意味の組み立ては変わりません。
考え方の近いことわざには、「人の口に戸は立てられぬ」があります。家の出入り口なら戸を閉められますが、人の口に戸を付けて、うわさや批判が出るのを止めることはできないというたとえです。
『新竹斎(しんちくさい)』(1687年・江戸時代前期)には、「俗にいへる人の口には戸がたてられぬと」とあります。この時代にはすでに、人々の取り沙汰を止めることはできないという考えが、世間で通じる言い方になっていました。
さらに、浄瑠璃(じょうるり)『心中刃は氷の朔日(しんじゅうやいばはこおりのついたち)』(1709年・江戸時代中期、近松門左衛門作)にも、「世間の口にとをたてて錠おろす」という表現が出てきます。どのような戸や錠を用意しても、世間のうわさは封じられないという意味です。
これらの古い言い方が「陰では殿の事も言う」の直接のもとになったと断定することはできませんが、人の口や世間の評判は思いどおりに抑えられないという、共通の知恵を表しています。「陰では殿の事も言う」は、その知恵を、殿という身分の高い人物を用いて印象深く言い表したものです。
現在では、周囲の陰口を必要以上に恐れず、自分が正しいと思うことに落ち着いて取り組むよう促す場合に用います。ただし、相手から直接伝えられた誠実な意見まで退けるのではなく、役立つ助言と根拠のない悪口とを区別することが大切です。スト
「陰では殿の事も言う」の使い方




「陰では殿の事も言う」の例文
- 委員長として公平に進めても不満を言う人はいるので、陰では殿の事も言うと考えて気に病まないことにした。
- 祖父は、周囲のうわさに落ち込む孫へ、陰では殿の事も言うのだから胸を張れと励ました。
- 人気の高い選手にも批判は集まるため、陰では殿の事も言うというものだ。
- 社長は陰では殿の事も言うと心得、根拠のない悪口には振り回されなかった。
- 町長への陰口を聞いた母は、陰では殿の事も言うから、うわさだけで人を判断してはいけないと話した。
- 陰では殿の事も言うとはいえ、相手のいない所で悪口を広める行いまで許されるわけではない。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・藤井乙男編『諺語大辞典』有朋堂、1910年。
・『新竹斎』1687年。
・近松門左衛門『心中刃は氷の朔日』1709年。























