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「地獄で仏に会ったよう」の意味(語源由来・類義語・英語訳)
【ことわざ】
地獄で仏に会ったよう
【読み方】
じごくでほとけにあったよう
【意味】
ひどく困っているときや、危ないときに、思いがけない助けに会って喜ぶことのたとえ。
地獄のような辛い状況でも、仏様のような助けが現れたら、それはもうホンマにありがたいってことやろ。人生、何があるかわからんから、助け合いって大事やな。
【語源・由来】
地獄というとてもおそろしい場所で、仏様のように慈悲深くて優しい人に出会ったようなうれしさということが由来。
【類義語】
・闇夜の提灯(やみよのちょうちん)
・干天の慈雨(かんてんのじう)
・渡りに船(わたりにふね)
【英語訳】
He was a godsend(to me in my distress).
「地獄で仏に会ったよう」の解説
「地獄で仏に会ったよう」っていう言葉はね、すごく大変な状況や、本当に困っているときに、思いがけなく助けてくれる人やものに出会えて、とても嬉しいと感じる時のたとえ話なんだよ。
地獄って、すごく苦しくて、辛い場所のことをイメージしているから、そんなところで優しい仏様に会えたら、それはすごくラッキーで、心からホッとするよね。
例えば、テストで難しい問題が出てきて、全然答えがわからなくて困っている時に、たまたま勉強したところからその問題が出て、無事に解けた!っていう時も、「地獄で仏に会ったよう」な感じなんだよ。
「地獄の地蔵」も同じような意味で使われることがあって、地獄で苦しんでいる人々を助けてくれる地蔵菩薩のことを指しているんだ。地獄でさえ助けてくれる優しい存在、そういう助けがまさに「地獄で仏に会ったよう」という表現になるんだね。
要するに、とても辛い時に思いがけず助けてくれる人やものに出会えた時の喜びや感謝の気持ちを表す言葉なんだよ。
「地獄で仏に会ったよう」の使い方
こんなところで何をしているの?
地獄で仏に会ったようだよ。
一緒に帰りましょう。
「地獄で仏に会ったよう」の例文
- 下山の途中で道がわからなくなってうろうろしていたところへ、ひとりの登山者が現れたときには、地獄で仏にあったような思いだった。
- ボートで漂流してしまったときに、漁船に出会えたことは地獄で仏に会ったようだと思った。
- 暗い夜道を歩いて帰る途中に、友達のお母さんが車に乗せてくれたことは、地獄で仏に会ったような気持ちだった。
- 給料日の前でお金がないと思ったけれど、本棚の本の間にお金を見つけたときには地獄で仏に会ったようだと思った。
- 大切な試験の日に消しゴムを忘れてしまったけれど、隣の席の人が貸してくれたことは地獄で仏に出会ったようで忘れられない。
「地獄で仏に会ったよう」の文学作品などの用例
この時に自分はふとこの祖母が謡い好きであった事を思い出して、たちまち胸中に湧き出した野心が半天に漲り渡ると、思い切って独逸流に、「お祖母様。私は東京に行って謡いを稽古して来ました。お退屈なら伯父が帰るまでに一ツ謡って見ましょうか」と切り出した。その時の祖母の喜びようと来たら全く地獄で仏に会ったようであったが、自分もまたご同様で全くこの祖母を拝みたい位に思ったのである。(夢野久作の謡曲黒白談より)
まとめ
とても困っているときには、ほんの些細な優しさに助けられることもあります。
誰しもが一度は、地獄で仏に会ったようだと思う体験をされたことがあるのではないでしょうか。
助けられたことに感謝をして、自分自身も誰かの助けになれるようにしたいですね。