【慣用句】
忌諱に触れる
【読み方】
ききにふれる
【意味】
人が嫌がって避けていることを言ったり行ったりして、その人の機嫌を損ねること。特に、目上の人や主人などについていうことが多い。


【英語】
・incur someone’s displeasure.(人の機嫌を損ねる)
【類義語】
・不興を買う(ふきょうをかう)
・逆鱗に触れる(げきりんにふれる)
【対義語】
・機嫌を取る(きげんをとる)
「忌諱に触れる」の語源・由来
「忌諱に触れる」は、「忌諱」と「触れる」から成る言い方です。「忌諱」の「忌」と「諱」は、どちらも「いむ」という意味をもち、嫌がって避けること、また、遠慮して口にしてはいけない事柄を表します。
「諱」は、もとは人の実名に深く関わる言葉です。生前の実名は、死後にそのまま口にすることがはばかられたため、「諱」と呼ばれるようになりました。
このような背景から、「忌諱」は、単に嫌いなものというだけでなく、口に出したり触れたりすることを慎むべきもの、という重い意味をもつようになりました。貴人や目上の人の名に関わる事柄を避ける考えとも結びついています。
「忌諱」という言葉は、中国古典にも用例があります。『老子』(前3世紀以後に編集されたと考えられる道家の書)五七には「忌諱」の語が出ており、避けるべき禁令や、世の中で触れてはならないものに関わる言葉として使われています。
日本でも、「忌諱」は早くから漢文の中で使われました。『続日本紀(しょくにほんぎ)』(797年・平安時代初期、菅野真道・藤原継縄ら編)には、天平宝字七年(763年)の記事に「言語渉二時忌諱一」という形が出てきます。これは、その時代に避けるべき事柄へ言葉が及んだ、という文脈です。
「忌諱に触れる」に近い形は、中国の史書『三国志』(西晋、3世紀、陳寿撰)のうち、魏の歴史を記した『魏志』にも文献例があります。『三国志』は魏・呉・蜀三国の歴史を記した全六十五巻の正史で、そのうち魏志は魏に関する部分を指します。
日本語の慣用句としての古い用例には、頼山陽の『日本外史(にほんがいし)』(1827年・江戸時代後期成立、頼山陽著)二二に出てくる「其鐘銘触二忌諱一」があります。これは、「その鐘の銘文が忌諱に触れた」という意味に読める漢文表現です。
『日本外史』は、源平二氏から徳川氏までの武家の興亡を漢文で記した歴史書です。二十二巻から成り、文政十年(1827年)に完成し、のち天保七〜八年ごろに刊行されました。
この用例の「鐘銘」は、方広寺の鐘銘をめぐる事件と関わります。豊臣秀頼が再建した方広寺大仏殿の鐘にある「国家安康」「君臣豊楽」の文字が、徳川家を呪い、豊臣家の繁栄を祝うものと解釈され、供養が延期されました。
つまり、「触れる」はここで、手で軽くさわるという意味ではなく、怒りや不快感を招く力に当たるという意味で働いています。「怒りに触れる」と同じように、相手が避けたいところへ言葉や行動が届き、機嫌を損ねることを表します。
このように、「忌諱に触れる」は、古くは名や禁忌を避ける考えと結びつきながら、しだいに「人が非常に嫌がることを言ったりしたりして、不快にさせる」という意味で定着しました。現在では、相手の立場や心情を考えず、触れてはならない話題に踏み込んでしまった場合に使われます。
「忌諱に触れる」の使い方




「忌諱に触れる」の例文
- 会議の場で社長が長年避けていた失敗を持ち出し、彼の発言は忌諱に触れるものとなった。
- その一言は、祖父が大切にしている家のしきたりの忌諱に触れる内容だった。
- 相手のつらい記憶を軽く話題にしたため、彼女の質問は忌諱に触れる結果になった。
- 式典のあいさつで過去の対立を蒸し返せば、関係者の忌諱に触れるおそれがある。
- 上司が最も嫌う不正確な報告を重ねたことで、部下の態度は忌諱に触れるものと受け止められた。
- 相手の立場を考えずに秘密の話を口にするのは、忌諱に触れる行為になりやすい。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・集英社辞典編集部編『ルーツでなるほど慣用句辞典』集英社、1991年。
・瀬戸賢一・投野由紀夫編集主幹『プログレッシブ英和中辞典 第5版』小学館、2012年。
・菅野真道・藤原継縄ら編『続日本紀』797年。
・陳寿『三国志』西晋、3世紀。
・頼山陽『日本外史』1827年。























