「杵臼の交わり」の意味(出典・故事)
【ことわざ】
杵臼の交わり
しょきゅうのまじわり
【意味】
貧富や地位を問題にしない交友。
人と人との交流は、地位や財産を越えたところにある大切なものやってことを教えてくれる言葉や。誰とでも心を開いて交わることが大事やな。
【出典】
「後漢書」
【故事】
中国、後漢の公孫穆は学費がなく、金持ちの呉祐の家で雇われてきねとうすを使って米をついて勉学に励んでいた。あるとき呉祐が公孫穆と話してその学識にすっかり感服し、主従を越えた交際を結んだという。
「杵臼の交わり」の解説
「杵臼の交わり」という表現は、身分や社会的地位に関係なく、自由で平等な交友関係を意味しているんだ。この言葉は、「杵臼の交」とも呼ばれ、「杵」と「臼」は、米をつくのに使われる道具で、杵が臼に当たることから来ているんだね。
この表現は、杵と臼がお互いに密接に関わり合いながらも、一方が他方を支配するわけではなく、互いに必要とされている関係を表しているよ。これは、社会的な地位や身分、貧富に関わらず、人々が互いに尊重し合い、支え合う関係を築くことを象徴している。
「杵臼の交わり」ということわざは、人間関係において、外見や地位ではなく、人としての本質的な価値を重視することの重要性を教えてくれるんだ。つまり、どんな社会的地位や背景を持つ人々も、互いに平等に接し、理解し合うことが大切だということを伝えているんだね。
「杵臼の交わり」の使い方
「杵臼の交わり」の例文
- 皇太子と同じ学校で杵臼の交わりをする。
- 彼は貧しい僕を馬鹿にせず憐れむこともせずに、杵臼の交わりをしてくれた。
- 社長とは喫煙室で知り合い、杵臼の交わりを続けている。
- 彼とは同じ店の常連で、杵臼の交わりをするが、本来なら僕如きが話しかけることなどできないやんごとなき人だ。
- 心がつながれば、貧富の差を越えて杵臼の交わりをすることができる。
主従関係や社会的地位を超えて、人と人とが平等に交流することの価値や美しさを示している言葉なんだ。