「宗旨の争い釈迦の恥」の意味(類義語)
【ことわざ】
宗旨の争い釈迦の恥
【読み方】
しゅうしのあらそいしゃかのはじ
【意味】
仏教の宗派はすべて釈迦の教えがもとになっているので、宗旨争いは釈迦の恥になるということ。
宗旨争いをあざけったことば。
へー、そういう意味があるんやね。つまり、仏教っていう同じ木から育った枝葉同士がケンカするのは、その木を植えた釈迦さんにとっては顔に泥を塗るようなもんやってことやな。
みんな同じ教えを信じてるのに、細かいことで争うのはナンセンスやってことを言いたいんやね。
【類義語】
・釈迦に宗旨なし
・宗論はどちらが負けても釈迦の恥
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「宗旨の争い釈迦の恥」の解説
カンタン!解説
「宗旨の争い釈迦の恥」ということわざは、仏教の教えを出した釈迦がみんな同じなのに、仏教のいろんな宗派で争いごとをするのは、釈迦自身の恥になるっていう意味だよ。
ちょっと考えてみてね。一つの家族がいて、みんな同じおじいちゃんから教わったことなのに、家族同士でけんかをしていたらおじいちゃんは悲しむよね。同じように、仏教の教えも本当はみんな釈迦から来ているのに、違う宗派が争っていたら、それは教えを出した釈迦にとって恥ずかしいことだっていうわけなんだ。
このことわざは、宗派間で争うことの愚かさを笑うとともに、大切なのは外の違いよりも心の中の教えに従うことだって教えてくれているんだよ。だから、みんなが同じ教えに従っている時は、外の違いにこだわらずに仲良くすることが大事なんだね。
「宗旨の争い釈迦の恥」の使い方
宗教が原因となっている戦争が後を絶たないね。
宗旨の争い釈迦の恥なのにね。
お釈迦様の恥になるようなことをしちゃだめだよね。
罰当たりよ。極楽に行けないわ。
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「宗旨の争い釈迦の恥」の例文
- 宗旨の争い釈迦の恥だから、同じ宗教同士仲よくすべきだ。
- 仏さまを信仰する気持ちが同じなのだからいがみ合うのはやめよう。宗旨の争い釈迦の恥ともいうしな。
- 仏教徒が争うのは、宗旨の争い釈迦の恥というように仏様の顔に泥を塗る行為だ。
- 長い年月を経ていろんな宗派ができたが、元は同じ仏教だ。宗旨の争い釈迦の恥だから派閥争いはやめよう。
- 宗旨の争い釈迦の恥なので、仏教徒として慈愛の心を持って諍いはなくそう。
同じ根本の教えから生まれたのに争うのは、教義の本質を見失っているということを風刺している言葉なんだ。