【慣用句】
愛想も小想も尽き果てる
【読み方】
あいそもこそもつきはてる
【意味】
あきれ果てて、相手に対する好意や信頼をまったく持てなくなること。


【類義語】
・愛想が尽きる(あいそがつきる)
・愛想を尽かす(あいそをつかす)
「愛想も小想も尽き果てる」の語源・由来
「愛想(あいそ)」は、人に接するときの態度を表すほか、人に対する好意や信頼感を表す言葉です。「愛想が尽きる」といえば、それまで相手に抱いていた好意や愛情がすっかりなくなり、もう好ましく思えなくなることを意味します。
「愛想も小想も尽き果てる」は、この「愛想が尽きる」をいっそう強めた言い方です。「こそ」は、口調をよくするために添えられたものであり、「愛想」とは別に、「小想」という種類の好意があるという意味ではありません。「もこそも」と調子を重ね、さらに「尽き果てる」と言い切ることで、好意が少しも残っていないほどの強い失望を表します。
もとになる「愛想が尽きる」という言い方は、室町時代に成立した軍記物語『義経記(ぎけいき)』に、「義経があいそうもつきて」と出てきます。また、江戸時代前期の俳諧撰集『鷹筑波集(たかつくばしゅう)』(1638年序、1642年刊、西武編)にも、「くもれよとあひそも月の西の空」という用例が伝わっています。このように、好意が失われることを「愛想が尽きる」と表す形は、「愛想も小想も尽き果てる」よりも前から用いられていました。
「愛想も小想も尽き果てる」に当たる古い実例は、江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)『蒲冠者藤戸合戦(かばのかんじゃふじとがっせん)』第四段に出てきます。そこには、「姉に生れて其卑怯、あいそもこそもつきはてた」とあります。姉でありながら、その卑怯なふるまいには、もう好意を保てないという、相手を厳しく責める台詞です。
『蒲冠者藤戸合戦』は、並木宗助・安田蛙文の作で、享保15年(1730年)1月に大坂の豊竹座(とよたけざ)で初演された人形浄瑠璃の作品です。現存する刊本の内題下にも、「作者 並木宗助/安田蛙文」と記されています。源平の合戦を背景とした物語の中で、この言い方は、身近な相手の卑怯さにあきれ、信頼を失った場面の言葉として用いられています。
この古い用例では、「あいそもこそもつきはてた」と仮名で書かれています。一方、現在は「愛想も小想も尽き果てる」と書き、「小想」を「こそ」と読む形が用いられます。表記が漢字まじりに整えられていても、「こそ」が口調を整えながら意味を強める働きをすることは変わりません。
明治初期の滑稽小説『西洋道中膝栗毛(せいようどうちゅうひざくりげ)』(1870〜1876年刊、初めの諸編は仮名垣魯文作)にも、「おめへがたにやア、あいそもこそも、つきはてたから」とあります。江戸時代中期に浄瑠璃の台詞として現れた言い回しが、明治時代には会話を生き生きと写す小説にも用いられ、相手への好意が完全に失われたことを表す言葉として受け継がれていました。
したがって、「愛想も小想も尽き果てる」は、一度の失敗に腹を立てる程度の言い方ではありません。相手の卑怯さや不誠実さ、度重なる裏切りなどにあきれ果て、もう好意も信頼も持てないという、深い失望を表す慣用句です。
「愛想も小想も尽き果てる」の使い方




「愛想も小想も尽き果てる」の例文
- 同じうそを何度も繰り返す友人に、彼女は愛想も小想も尽き果てる思いだった。
- 家族の貯金を黙って使い、謝りもしない兄には、母もとうとう愛想も小想も尽き果てる。
- 安全規則を守らず、注意されても改めない担当者に、同僚たちは愛想も小想も尽き果てる。
- 町の寄付金をごまかしたうえに責任を逃れようとする役員には、住民も愛想も小想も尽き果てる。
- 期限を破るたびに言い訳を重ねる取引先に、責任者はとうとう愛想も小想も尽き果てる。
- 大切な約束を何度も軽んじる相手には、いくら親しい仲でも愛想も小想も尽き果てることがある。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・西武編『鷹筑波集』1642年。
・並木宗助・安田蛙文『蒲冠者藤戸合戦』1730年初演。
・仮名垣魯文『万国航海 西洋道中膝栗毛』1870〜1876年。























