【ことわざ】
網の目にさえ恋風がたまる
【読み方】
あみのめにさえこいかぜがたまる
【意味】
恋とは無縁に思える人でも、思いがけず本気の恋をすることのたとえ。


【類義語】
・恋は思案の外(こいはしあんのほか)
・網目に風たまる(あみのめにかぜたまる)
「網の目にさえ恋風がたまる」の語源・由来
このことわざの土台には、「網の目」と「風」の取り合わせがあります。網の目はすき間が多く、風を受け止めてためることはできません。そのため、古くから「網目に風たまる」「網の目に風とまる」という形で、普通ならありえないこと、または手ごたえのほとんどないことをたとえる言い方として使われました。
古い例として、『古今和歌六帖(こきんわかろくじょう)』(10世紀後半成立、平安時代中期の類題和歌集)には、「あみのめに吹きくるかぜはとまるとも人の心をいかが頼まん」という歌が出てきます。これは、「たとえ網の目に吹く風がとどまるとしても、人の心をどうして頼みにできようか」という意味で、風が網にとどまるはずがないという前提を用いて、人の心の頼みにくさを強く表しています。
江戸時代には、この「網」と「風」のたとえがさらにことわざとして広く使われました。『諺苑(げんえん)』(1797年・江戸時代後期、太田全斎著)には「網の目に風とまる」という形が収められ、『源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)』(1749年・江戸時代中期、並木千柳・三好松洛作)には「網の目に風溜る」という表現が出てきます。ここでは、全く成り立たないことだけでなく、わずかな効果や見込みをいう方向にも意味が広がっています。
一方、「恋風(こいかぜ)」は、恋しさや恋による苦しさを、身にしみる風にたとえた言葉です。『日葡辞書(にっぽじしょ)』(1603〜1604年、日本イエズス会宣教師編)にもこの言葉が収められ、室町時代末期から近世初期にかけての狂言『枕物狂(まくらものぐるい)』にも、恋に動かされる心を風にたとえる言い方が出てきます。
「網の目にさえ恋風がたまる」は、この古くからの「網の目に風がたまるはずがない」という発想に、「恋風」を重ねた表現です。普通の風なら網の目を通り抜けてしまうのに、恋の風だけはそこにさえたまるという言い方によって、恋の力の思いがけなさを表しています。
この形に近い古い用例は、『長町女腹切(ながまちおんなのはらきり)』(1712年・江戸時代中期、近松門左衛門作)に出てきます。この作品は、大坂の長町を背景に、半七と遊里の女性お花をめぐる事件をもとにした世話浄瑠璃です。作中には「よそのつまごと羨し、流れわたりの情であろと網の目にさへ戀風がたまる」とあり、はかない関係と思われる場にも、思いがけず本気の恋心が宿ることを表しています。
現在の「網の目にさえ恋風がたまる」は、恋に無縁に見える人にも恋心が生まれる、という意味で使われます。もとの「網の目に風がたまらない」というありえなさのたとえを逆に生かし、「恋だけは、通り抜けるはずの場所にも残る」という形で、人の心の不思議さをやわらかく言い表すことわざになっています。
「網の目にさえ恋風がたまる」の使い方




「網の目にさえ恋風がたまる」の例文
- 恋愛に関心がないと言っていた兄が婚約し、家族は網の目にさえ恋風がたまると思った。
- いつも冷静な委員長が転校生の前で顔を赤くし、友人たちは網の目にさえ恋風がたまると感じた。
- 人に心を動かされないと思われていた役者が本気の恋に落ち、網の目にさえ恋風がたまる場面が観客の心に残った。
- 仕事一筋だった同僚が同じ部署の人を大切に思い始め、網の目にさえ恋風がたまるの例となった。
- 恋などしないと話していた先輩が、祭りの準備で知り合った人を待つようになり、網の目にさえ恋風がたまると言われた。
- 祖父が祖母との出会いを語るたび、家族は網の目にさえ恋風がたまるという言葉の深さを思う。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・『古今和歌六帖』10世紀後半。
・日本イエズス会宣教師編『日葡辞書』1603〜1604年。
・太田全斎『諺苑』1797年。
・並木千柳・三好松洛『源平布引滝』1749年。
・近松門左衛門『長町女腹切』1712年。
・鳥越文蔵ほか校注・訳『新編日本古典文学全集 74 近松門左衛門集 1』小学館、1997年。























