【ことわざ】
垢も身の内
【読み方】
あかもみのうち
【意味】
垢ももとは体の一部なのだから、むやみにこすり落とすものではないとして、長湯する人をひやかしていうことば。


【英語】
・You don’t need to scrub yourself that hard.(そんなに念入りに体をこすらなくてもよい)
・Don’t stay in the bath too long.(風呂に長く入りすぎないように)
・You’re soaking too long.(風呂に長くつかりすぎている)
【類義語】
・腰抜風呂(こしぬけぶろ)
・長湯(ながゆ)
・長風呂(ながぶろ)
【対義語】
・烏の行水(からすのぎょうずい)
「垢も身の内」の語源・由来
「垢も身の内」は、言葉どおりに受け取れば、垢ももとは体から出たものだから、むやみに落とすものではない、という意味です。けれども、これは本気で垢を残してよいと言う言葉ではなく、長く風呂に入っている人を軽くからかう、しゃれのある言い方です。
このことわざのいちばん大事なところは、入浴そのものを悪く言うのではなく、長湯しすぎたり、いつまでも体をこすったりする様子を、少しおどけて言い表すところにあります。したがって、きれい好きそのものを責める言葉とは少し違います。
古い用例としてよく知られているのは、式亭三馬(しきていさんば)の滑稽本『浮世風呂(うきよぶろ)』です。これは1809年(文化6年・江戸時代後期)から1813年(文化10年・江戸時代後期)にかけて出された作品で、銭湯で交わされる町人たちの会話が、いきいきと描かれています。
その第二編には、「垢も身の内だよ」という形のせりふが出てきます。つまり、この言葉は江戸時代の後期には、銭湯の場で通じるひやかし文句として、すでに使われていたことになります。
『浮世風呂』は、江戸の人びとの日常の話し方を細かく写した作品として知られます。そこでこの言葉が使われているということは、かたく改まった教えというより、ふだんの会話の中で自然に口にされる言い回しだったことをよく伝えています。
また、長湯をからかう言葉は、この一つだけではありませんでした。たとえば「腰抜風呂」という言い方も古くからあり、風呂で長く過ごす人をおもしろく言う習慣が、当時の暮らしの中にあったことが分かります。
その中で「垢も身の内」は、体を洗う行為そのものに目を向けているところに特色があります。長く湯につかっているだけでなく、垢を落とそうとして熱心に体をこすっている様子まで、ひとことの中に含ませているのです。
この言い方の形は、「腹も身の内」という別のことわざによく似ています。「腹も身の内」は、食べすぎや飲みすぎをいましめる言葉ですから、それを踏まえて「垢も身の内」というしゃれた言い回しが生まれたと考える説があります。
ただし、この点は、成り立ちを一つに決めきるよりも、よく似た言い回しの型を借りて広まったと考えるほうが自然です。江戸のことば遊びには、耳に残る形へ言い換えて広める工夫が多く、このことわざにもそうした親しみやすさがあります。
もう一つ大切なのは、このことわざが、ほめ言葉ではないということです。相手の長風呂を見て、少し笑いながら言う語感があるので、場面によっては失礼にもなります。だから、使うなら家族や親しい間柄で、軽くたしなめるときが向いています。
現代では、毎日の会話でしょっちゅう聞く言葉ではありませんが、意味は今でも分かりやすいままです。体の一部だった垢をわざわざ持ち出すところに、いかにも大げさでおかしみのある言い方が生まれています。
まとめると、「垢も身の内」は、江戸時代後期の銭湯の会話にしっかり姿をあらわす言葉で、長湯する人を軽くひやかすために使われてきました。生活の場面から生まれた、少し意地のいい、おもしろみのあることわざだといえます。
「垢も身の内」の使い方




「垢も身の内」の例文
- 修学旅行の大浴場でいつまでも体を洗い続ける友人を、みんなが垢も身の内と笑って呼んだ。
- 母は、兄が毎晩なかなか浴室から出てこないと、垢も身の内だと声をかける。
- 合宿の入浴時間が終わっても洗い場を離れない仲間に、垢も身の内というひやかしが飛んだ。
- 温泉旅館で祖父が長く湯につかっているのを見て、叔父が垢も身の内だと冗談を言った。
- 会社の寮の風呂で毎晩一時間も出てこない先輩は、垢も身の内とからかわれていた。
- スポーツジムの浴室でいつまでも体をこすっている人を見て、垢も身の内という古い言い方を思い出した。























